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津島秋祭り

05/02/08更新

 愛知県西部の町「津島」,古くから津島神社の門前町として,また湊を擁する津島商人の拠点として栄えました.
 津島の祭りといえば、津島神社の天王祭(夏祭り)が有名ですが,ここで紹介するのは秋に行われる山車祭りです.
 この津島秋祭りは,かつて居森社向島祭り」(山車3台)・大土社今市場祭り」(山車3台)・市神社七切祭り」(山車7台)・石採り祭り(祭車4台)として3地区別々の祭りだったのを,大正15年に津島神社が国幣小社に昇格したのを機に,合同で行われるようになったものです.
 午前中に町内を曳き廻された山車は,名鉄津島駅前に整列し,午後「車切大会」が行われます.その後,山車は津島のメインストリートである天王通りを,辻々で車切を行いながら津島神社に向かいます.津島神社に到着した山車は順にからくりを奉納し,提灯を飾り付け夜の装いに変化します.

車切
 山車の前方を持ち上げ,回転させるもので,尾張地方では一般に「どんてん」、「どんでん」と呼ばれる妙技です.この津島の「車切」の特徴としてあげられるのは,それが何十回転も続けられることです.「車切」といえば,お囃子の車切が想像されますが,この津島の「車切」も車切囃子に合わせて行われ,その語源になったものと思われます.
津島の山車の特徴
 津島の山車のルーツは,津島天王祭の車楽・大山といわれ,初期には「張州雑志」(後述)に描かれた天明期の山車に見られるような形態だったようです.その後の改造により名古屋型の要素も取り入れ変化したようですが,現在でも独自の要素を多く含んでおり津島七切型と分類されています.
 ここでは名古屋型との相違点を中心に,津島の山車の特徴をあげてみます.
 前棚がなく,中段に独立した基壇(屋台枠)が設けられ彫刻で飾られます.そのため,山車の周囲を取り巻く高欄は二重(2段)になっています.
 采振り(前人形)は出棚を設け車外にせり出し設置されています.また,朝日町・麩屋町・小之座の山車は,前方に張り出した出樋で湯取神事などのからくりが行われます.
 水引幕は,四方を囲み,後部は御簾で飾ります.また,柱の露出する部分は,錦織の柱隠しで覆われます.

 輪懸はやや低く,山車の全周を囲んでいます.また,一部の山車の車輪は内輪になっています. これは,道幅の関係で外輪から内輪に変更されたものではないかと推測されます.
また、上山の昇降装置(迫り上げ)を持たない山車もあり,普段は曳綱も外されているようです.
天明期の山車
 内藤東甫(正参)によって書かれた『張州雑志第七五』に天明元年の市神社祭礼と今市場の祭礼絵図が記載されています.練り物行列とともに描かれた山車を観察すると,現在の津島山車との相違が少なからず見受けられます.
・屋根の破風は入母屋で,鯱が載り,屋根の四隅からは瓔珞が下がってる.
・屋根を支える四本柱は,上部に比べ下部取り付け位置が広くなっている.(この形状では屋根の昇降装置を設ける事が出来ない)
この,屋根と四本柱の形状は川祭りの車楽船と同じですが,現在の山車では一般的な唐破風屋根と四本柱となっています.
・梶棒がなく,曳き綱で曳かれている.また方向転換はテコ棒によって行われていたようです.(現在では楫棒が付けられ,一部の山車を除き曳き綱は見られない)
ただし,後に高力猿猴庵によって書かれた『尾張年中行事絵抄』には「梶取ばかりにて綱引き無し」とあり,この頃には梶棒が既に付けられていたようです.

祭りの様子

山車の紹介

今市場の山車
 以前は旧暦8月2日に今市場町・大土社の祭礼として行われていました.創建は天明年間(1781〜1789)以前といわれます. 朝日町 大中切 小中切
朝日車   宮車

向島の山車
 津島神社の摂社である居森社の祭りで,かつて旧暦8月1日に「向島祭り」として行われていました.
 起源は,定かではありませんが,現在残されている山車の記録などにより,寛政年間以前から山車が曳かれていたと推定されます.
中之町 馬場町 上之町
文字車 馬場町車 綾車

七切の山車
 市神社の祭りで旧暦8月15日に行われていました.
 市神祭の起源は「張州雑志」によると,「八月十五日祭礼アリ車七輌練物等アリ...」
享保3年(1718)に初めて山車を飾り,同11年から正式な祭礼に定められた.と記されています.

*印は車輪が内輪
布屋町*
布車
麩屋町* 池町* 小之座 北町 米之座 高屋敷
神子車 池車 獅子車 北車 米之座車 高屋敷車

石採祭車
 八剣社の祭りで,大正4年頃から桑名の石取祭車を買い入れ始まったといわれます.かつては旧暦8月1日を祭礼日としていました.
 祭り当日は鉦・太鼓を打ち鳴らし町を練り歩きます.
 車中には清浄な小石がおかれ,この石を拝受して祀ると商売繁盛・家内和合に霊験あらたかと伝えられます.
他に,ここでは紹介しておりませんが,唐臼町にも同型態の祭車があり昭和31年から始まっております.
北部 中部 南部

参考資料:津島市史,曳山の人形戯,からくり人形の宝庫,
祭礼事典・愛知県
まつり通信406「津島秋祭文字車について」黒田幹夫
 当「津島秋祭り」のページの編集にあたり,黒田幹夫氏に多くを御教示頂きました.ありがとうございました.
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