知多の春祭りの先陣を切って行われる乙川の祭り.
古くは旧暦正月15・16日に行われ、小雪が舞い吹きすさぶ寒風が「糸切り風」として乙川まつりの名物だったといわれます.現在では春の彼岸の頃に行われますが、この乙川まつりから5月の潮干祭まで半田市内や知多半島各地は祭り一色になるのです.
八幡社前の急坂での坂上げは乙川まつり一番の見所で、若者達が先を争って梶を取りあう姿は豪快そのもの.
かつて、この坂上げの際に一番梶を守り通した若者は、乙川一の娘を嫁にできるといわれたそうです.(一番梶とは御幣下の梶棒の最先端をいい、この場所を「ちょっさき」と呼びます)
祭りの歴史は古く、古文書などからも宝暦5年(1751)以前にさかのぼります.
正月15・16日に行われた八幡社の祭礼は、『15日に八幡宮大神が若宮八幡宮に神輿渡御をし、この際に村方氏子中より山車4輌で警固をする.そして若宮にて獅子舞、糸からくりなどを神前に引渡し、一夜おこもりをする.翌16日に八幡宮へ神輿還御をするが、このときも山車と音楽、獅子舞などを引き渡す.』(半田市誌)という次第でした.
この基本は現在の乙川まつりの山車曳行にも受け継がれており、乙川の山車は祭礼の余興ではなく神輿の警固にあるということで、乙川の山車曳き廻しに町内曳きはありません.
現在の乙川まつりは土曜日を始楽として、山本を地離れした四山の山車が八幡社参道に集結します.10時より八幡社に坂上げを行い、境内に整列した四山はからくりと神楽の奉納を行います.
午後になると八幡社の坂を下り、元薬師にて打ち揃い若宮社まで曳行します.
宵祭りは試楽(シンガク)といって提灯を灯しますが、昭和35年以降中止していましたが、昭和62年に復活して四山が元薬師まで曳行します.ここで曳き別れとなってサヤまで戻ります.
日曜日は本楽で、早朝までに四山の山車が若宮社の境内に並びます.(以前おこもりがあった名残でしょうか)
そして神輿の還御にあわせて再び八幡社に戻り、坂上げ後にからくりと神楽の奉納となります.
浅井山宮本車 |
殿海道山源氏車 |
南山八幡車 |
西山神楽車 |
宮本車の彫刻1 | 源氏車の彫刻1 | 八幡車の彫刻1 | 神楽車の彫刻1 |
宮本車の彫刻2 | 源氏車の彫刻2 | 八幡車の彫刻2 | 神楽車の彫刻2 |
からくり人形 | からくり人形 | ||
安政6年(1859) | 嘉永5年(1852) | 天保年間(1830〜) | 天保7年(1836) |
八幡社参道に四山が集結 |
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八幡社の参道 |
鳥居方向から参道を見ると |
坂上げ(浅井山) |
坂上げ(殿海道山) |
八幡社に整列.左から浅井山、殿海道山、南山、西山 |
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向山の「とびつき太鼓」試楽の八幡社で奉納されます. |
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坂下ろし(西山) |
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元薬師打ち揃い |
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雨の乙川まつり |
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若宮社 |
若宮社 |
試楽(シンガク)宵祭りを乙川ではシンガクと呼びます. |
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若宮社 |
若宮社 |
八幡社に還御する神輿 |