半田市乙川地区〜西山「神楽車」〜山車彫刻1

壇箱「稲穂に鶴・天照大神」

初代彫常 明治43年

実りの象徴である「稲穂」と長寿の象徴「鶴」が壇箱の正面に配されています.

当初、宮中に祀られていた天照大神の御神威を恐れた崇神天皇は豊鍬入媛に命じて倭笠縫邑に大神を祀らせました.そして垂仁天皇の御世になって、よりよい場所を求め、倭姫命が天照大神を奉じて近江、美濃を経て伊勢に至ったと伝えられます.これが伊勢神宮(内宮=皇大神宮)の起源です。

天照大神が伊勢に鎮座し、倭姫命は朝夕に大神にお供えする物を探しに廻ります.伊勢志摩地方は海産物が豊富で倭姫命はこの地のものを天照大神に供えることにしました.

磯辺(現三重県志摩郡磯部町)に至った頃、鳥が朝夕鳴いているので不思議に思い、倭姫を出迎えていた地主伊佐波登美命が家来の紀麻良に命じ、見に行かせました.

そこにいたのが真名鶴で何か咥えたものを落としましたが、それが稲穂だったのです.

倭姫は「物言わぬ鳥でも、大神に仕え奉る」と感心し、伊佐波登美命に命じ天照大神を祀る神殿(伊雑宮)を作らせ、この稲穂から天照大神に供える米を作らせました.(祭吉の山車祭り講座より抜粋)


獅子神楽(左面) 

神馬(右側面) 

壇箱蛙股

「楠公父子の別れ」

前山高欄蕨手

脇障子

「神功皇后」「武内宿禰」
初代彫常
明治43年

この脇障子は宵宮で使用されます.
夕刻,若宮社で付け替えます.



  「傘乗仙人」 初代彫常
 
 
陣南仙人 
 
傘風子仙人
 
 

蹴込
「司馬温公瓶割の図」

初代彫常 明治45年

 

持送り
「鯉の瀧登り」

初代彫常 昭和25年

山車彫刻2