[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][真鶴伝説]

第137回 真鶴伝説

 平成15年、知多の春祭りもいよいよ終盤です。先日の乙川祭で西山の壇箱「鶴に稲穂」は「鶴の穂落し」ともいわれ、三重県磯辺の伊雑宮に関係がある話とのことをお伺いしました(NOVAさんからのまたまた聞きですが。)ので伊雑宮に伝わる話を紹介し、西山壇箱の内容を検証してみましょう。

西山「神楽車」壇箱正面

伊勢神宮の鎮座
 先ず、前置きとして伊勢神宮の起源を簡単に紹介しましょう。崇神天皇の御世、宮中に祀られていた天照大神の御神威を恐れた天皇は豊鍬入媛に命じ、倭笠縫邑に祀らせました。
その後、垂仁天皇の御世、よりよい場所を求め、倭姫命が天照大神を奉じ、近江、美濃を経て伊勢に至ったと伝えられます。天照大神の意思に従い、倭姫命は五十鈴の川上に祀ります。
 簡単に紹介しましたが、これが伊勢神宮の起源です。

伊雑宮と真名鶴伝説
 天照大神が伊勢に鎮座し、倭姫命は朝夕に大神にお供えする物を探しに廻ります。伊勢志摩地方は海産物が豊富で倭姫命はこの地のものを大神に供えることにしました。
 ちょうど磯辺に至った頃、鳥が朝夕鳴いているので不思議に思い、倭姫を出迎えていた地主伊佐波登美命は家来の紀麻良に命じ、見に行かせました。
 そこにいたのが真名鶴で何か咥えたものを落としました。それが稲穂だったのです。倭姫は「物言わぬ鳥でも、大神に仕え奉る」と感心し、伊佐波登美命に命じ、天照大神を祀る神殿を作らせ、この稲穂から天照大神に供える米を作らせました。

壇箱正面の倭姫命

壇箱左側面

壇箱右側面

水引幕後部
 この神殿が今の伊雑宮「いざわのみや」で、米作りは今でも、御田植祭として伊雑宮の神事として行われています。
 また、伊雑宮に近くの佐美長神社「さみながじんじゃ」別名穂落宮「ほとしのみや」には、真名鶴が大歳神として祀られています。大歳は大年とも書き。一年で収穫できる米の豊作を祈る祭りを祈年祭というようし、年は米、稲を表し、大歳神は稲の神様となります。

乙川西山の壇箱
 初代彫常による壇箱彫刻です。上記の説話を踏まえ見ていきましょう。
正面中心に鶴が稲穂を咥え、それに手を伸ばしている人物が見えます。この人物は伊佐波登美命か、或いはその家来の紀麻良でしょう。
 その後ろの影に女性が見えます。この女性は倭姫命でしょう。向かって左面には神馬と鳥居が見えます。これは伊雑宮か、或いは伊勢神宮を表していると考えられます。
向かっての右面の獅子舞、神楽は御田植祭の神楽でしょうか。神楽車の山車名からもその係わりを感じさせます。

水引幕との調和
 西山神楽車の堂山には天保5年と伝わる、「日の出に鶴」の図柄の水引幕が付けられています。壇箱は昭和25年の改修時のものと考えられます。
 山車の左右後、三面の「日の出に鶴」に対し、正面を装飾する代表彫刻の壇箱、日の出つまりは天照大神で伊雑宮の鶴に関する説話が無関係とは思えません。
壇箱は水引との調和が見られ、何らか意識して付けられたのではと思えてなりません。

さて、皆さんは。どのように考えられますか?
注・講座名「真名鶴伝説」は祭吉が講座用に付けた題材で、彫刻の名を断定したものではありません。

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