半田市乙川地区〜南山「八幡車」〜山車彫刻1

壇箱「桃園の三傑(とうえんのさんけつ)」

初代彫常

中国の後漢時代末期黄巾の乱のさなか、中平元年(184)のことです.

のちに蜀の皇帝となる劉備玄徳(りゅうびげんとく)が関羽雲長(かんううんちょう)・張飛翼徳(ちょうひよくとく)の両名と桃の木の下で酒を酌み交わし、『われら天に誓う.われら生まれた日は違えども、死すときは同じ日同じ時を願わん』と言って酒を酌み交わし、義兄弟の誓いをしました.(参考:三国志事典・論風社)

場所は玄徳の家の裏にある桃園で、桃の花が満開の頃でした.当時黄巾賊が人々を苦しめており、三人が乱をしずめようと立ち上がったのでした.

このことから桃園の誓い、桃園結義とも称され、八幡車の壇箱では左端に関羽、右端に張飛、そして関羽の後ろ(右側面)に劉備玄徳が配置されています.


壇箱右側面「劉備玄徳」

関羽

張飛

「大正6年 尾州半田 正池刻」の陰刻
(正池は初代彫常の号)

壇箱中央

壇箱左側面


壇箱猫足

 
前山四本柱は黒柿材
 

壇箱蟇股

 

壇箱錺金具

 

壇箱錺金具

脇障子「須佐之男命、稲田姫」

初代彫常

脇障子「須佐之男命、稲田姫」

初代彫常
宵祭りで使用する脇障子

 
 

前山蕨手

前山虹梁

前山虹梁

台輪木鼻

蹴込
「牡丹に唐獅子」

初代彫常
 

持送り
「昇り龍」

初代彫常
 
山車彫刻2