慶長17年(1612)に完成した名古屋城は徳川家康の命によって外様諸大名を動員し築城された、いわゆる天下普請の城です.
乙川まつりの起源は定かではありませんが、この名古屋城天守閣石垣の工事を担当したのが加藤清正(当時熊本城主)で、乙川村から産出した大石を荷車様の車に乗せ名古屋まで賑やかに運んだそうで、この故事が乙川祭りの始まりだといわれます.
一説には元禄元年(1688)に浅井山ができ、その後順次殿海道山、南山、西山ができたといわれます.
確実な資料としては宝暦5年(1755)に尾張藩に提出するために作成された「乙川村祭礼山車絵図」の控えが残されており、この頃には既に山車4輌が曳かれていたことが判ります.
この絵図には、獅子を先頭に神輿などの祭礼行列が描かれ、後方に「小烏丸夢ノ助太刀」、「紅葉狩」、「役小角大峯桜」、「富士見西行」のからくり山車が続いています.
山本で山飾りをします |
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山祈祷 |
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御幣を山車に固定します |
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八幡社に向かいます |