10-02-10更新

半田市乙川まつり

知多の春祭りの先陣を切って行われる乙川の祭り.
古くは旧暦正月15・16日に行われ、小雪が舞い吹きすさぶ寒風が「糸切り風」として乙川まつりの名物だったといわれます.現在では春の彼岸の頃に行われますが、この乙川まつりから5月の潮干祭まで半田市内や知多半島各地は祭り一色になるのです.

八幡社前の急坂での坂上げは乙川まつり一番の見所で、若者達が先を争って梶を取りあう姿は豪快そのもの.
かつて、この坂上げの際に一番梶を守り通した若者は、乙川一の娘を嫁にできるといわれたそうです.(一番梶とは御幣下の梶棒の最先端をいい、この場所を「ちょっさき」と呼びます)

祭りの歴史は古く、古文書などからも宝暦5年(1751)以前にさかのぼります.
正月15・16日に行われた八幡社の祭礼は、『15日に八幡宮大神が若宮八幡宮に神輿渡御をし、この際に村方氏子中より山車4輌で警固をする.そして若宮にて獅子舞、糸からくりなどを神前に引渡し、一夜おこもりをする.翌16日に八幡宮へ神輿還御をするが、このときも山車と音楽、獅子舞などを引き渡す.』(半田市誌)という次第でした.
この基本は現在の乙川まつりの山車曳行にも受け継がれており、乙川の山車は祭礼の余興ではなく神輿の警固にあるということで、乙川の山車曳き廻しに町内曳きはありません.

現在の乙川まつりは土曜日を始楽として、山本を地離れした四山の山車が八幡社参道に集結します.10時より八幡社に坂上げを行い、境内に整列した四山はからくりと神楽の奉納を行います.
午後になると八幡社の坂を下り、元薬師にて打ち揃い若宮社まで曳行します.
宵祭りは試楽(シンガク)といって提灯を灯しますが、昭和35年以降中止していましたが、昭和62年に復活して四山が元薬師まで曳行します.ここで曳き別れとなってサヤまで戻ります.
日曜日は本楽で、早朝までに四山の山車が若宮社の境内に並びます.(以前おこもりがあった名残でしょうか)
そして神輿の還御にあわせて再び八幡社に戻り、坂上げ後にからくりと神楽の奉納となります.

■祭礼日
3月20日前後の土・日
■交通
JR武豊線乙川駅下車 ・臨時駐車場あり
■見所
土曜日朝と日曜日午後の八幡社境内への坂上げと坂下ろし.八幡社・若宮社でのからくり人形.

■山車詳細

浅井山宮本車

殿海道山源氏車

南山八幡車

西山神楽車

宮本車の彫刻1 源氏車の彫刻1 八幡車の彫刻1 神楽車の彫刻1
宮本車の彫刻2 源氏車の彫刻2 八幡車の彫刻2 神楽車の彫刻2
からくり人形   からくり人形  
安政6年(1859)  嘉永5年(1852)  天保年間(1830〜)  天保7年(1836) 

八幡社参道に四山が集結

八幡社の参道

鳥居方向から参道を見ると

坂上げ(浅井山)

坂上げ(殿海道山)

八幡社に整列.左から浅井山、殿海道山、南山、西山

向山の「とびつき太鼓」

試楽の八幡社で奉納されます.
屋形の高いところにある太鼓を飛びついて叩きますが、このとき花傘が回転するように叩きます.長らく途絶えていましたが、平成17年に復活しました.


坂下ろし(西山)

元薬師打ち揃い

雨の乙川まつり

若宮社

若宮社

試楽(シンガク)

宵祭りを乙川ではシンガクと呼びます.
大正7年頃までは若宮社に到着した山車は午後4時から順次宮下りして元薬師に集結.
ここで提灯を点灯して再び若宮社に曳き込んでお籠もりしたそうです.
伊勢湾台風以後中止されてしまったシンガクですが、昭和62年以降は若宮社で提灯を灯し元薬師まで曳行して曳き別れるという形で復活しています.


若宮社

若宮社

八幡社に還御する神輿
参考資料:半田市誌祭礼民俗編、地区誌編乙川地区
はんだ山車まつりガイドブック他