名古屋市中川区「戸田祭」

08.03.21更新

平成18年戸田小学校にて
 のどかな農村のたたずまいが今に残る戸田は、名古屋最西端に位置し昭和30年に名古屋市に合併し中川区富田町戸田となりました.
 かつては尾張藩主への御膳米を献上していた大村で、近世には富田庄近在より米が集められ、戸田米として著名だったようです.この戸田米を原料として始められた醸造業は今に伝わり、造り酒屋の建物・酒蔵は戸田の風物詩として今も残っています.
このような富裕な土地柄であった事を背景に古くから5輛の山車を保有し、精巧なからくり人形が今に伝えられています.

まつりの概要

 戸田の集落は北から順に、一之割・二之割から五之割まで五つの割が続きます.祭りにはそれぞれ各割の氏神(八幡社、天神社、鈴之宮、白山社、神明社)毎に行われ、全体として一つの祭りを構成しているのが戸田祭の特徴となっています.
戸田の祭りは元禄15年(1702)に一之割八幡社の祭りが最初とされ、それ以前は傘鉾祭りであったといわれます.
祭りは「山車祭」「提灯祭」があり、山車祭りは山車を飾って、各割の中を曳き廻し山車からくりなどを演じます.提灯祭は、各家の軒先に提灯をつるして.山車は通常飾らないそうです.たとえ、山車を飾っても各割の神社の境内からは曳き出さないのがしきたりとか.
 戦前は、その年の祭を決定するのに、お盆の頃「辻寄り」という方法で決められていました.それは、戸田の中心地の辻にて各割の若い衆が集まって協議の上決定するというものでした.山車祭りは費用もかかるため話し合いは明け方まで続くこともあったようです.平年は、提灯祭とするのが常例で、山車祭は5年から10年に1度あるいは、大豊作の年や国家的行事のある年に行われたといいます.
現在は、氏子、戸田祭保存会などが決定していますが、戦後では昭和30年の名古屋市合併の時と昭和59年の太平寺の薬師堂の落成記念の年に山車揃えが行われました.また2004年にも山車揃えが行われました.

山車の特徴

各割に伝えられる山車は、二層の唐破風屋根を四本柱で支えるいわゆる名古屋型と呼ばれる形態で、前棚に采振人形と、上山にはからくり人形を載せています.
障子張りの唐破風屋根でやや小振りな山車は、元々白木造りでしたが、伊勢湾台風で大きな被害を受け、その後復活した際に二之割・三之割の山車は塗りを施されるなど当初の形態から改造されています.
一之割・四之割・五之割の山車は名古屋市指定の有形民俗文化財で、二之割・三之割はからくりが指定されています.

山車の詳細

一之割山車 二之割山車 三之割山車
八幡社 天神社 鈴宮社
四之割山車 五之割の山車
白山社 神明社

参考資料: 文化財叢書「名古屋の文化財・下巻」他
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