尾張の山車まつりへ [鳴海表方祭]

鳴海表方祭(鳴海八幡宮例大祭)

03-07-10更新

 名古屋市の南東部に位置する緑区鳴海は,東海道五十三次の宿場町として栄え往時には本陣・脇本陣・旅籠等60数軒が軒を並べていました.
 この地には成海神社と鳴海八幡宮の二つの由緒ある神社があり,それぞれ別々に山車祭りが行われています.
 かつては双方の祭礼が同じ日に行われるという鳴海を挙げての祭礼だったようですが,元禄13年(1700)に.両神社の間で祭礼論争が起き,それ以後表方(鳴海八幡宮)裏方(成海神社)に分かれて,別々に行われるようになったといわれます.
 ここに紹介するのは,鳴海八幡宮の例大祭で,旧東海道を傘鉾,獅子,神輿,猩々(しょうじょう)と共に,作町・根古屋・本町・相原町・中嶋町の山車が繰り出します.

屋台・ 山車の紹介
 表方の祭りに曳かれる山車は,名古屋型である相原町の山車を除く4台は東海道沿いに見られる囃子屋台と呼ばれる形式の山車で,尾張地方に多く見られる名古屋型・知多型の山車とは異なり一層の山車です.
 囃子屋形(囃子車)から発展した形態は,唐破風の大屋根で前方前棚上部に庇があり,その形状も各町で異なりバラエティに富んでいます.大屋根は6本の各柱で支えられます.脇障子・高欄廻り・欄間等に瀬川治助など多くの彫り物が見られます.
また,唯一名古屋型の山車を持つ相原町の唐子車も,元は内輪の知多型の山車であったのを外輪の名古屋型に改造されており,名古屋型でありながら各所に知多の香りを漂わせた山車です.
伊勢湾台風以前は,前之輪にある八幡宮へ宮入していましたが,現在は国道1号線や名鉄名古屋本線などが障害になり旧東海道筋を曳き廻しています.

屋台の写真をクリックすると各屋台の詳細を見ることができます
作町 根古屋 本町 相原町 中嶋街
天保8年
(1837)
天保10年
(1839)
嘉永元年
(1848)
明治12年
小野浦より
弘化3年
(1846)
山車彫刻 山車彫刻 山車彫刻 からくり人形 山車彫刻

猩々(しょうじょう)
 猩々は山車とならび表方祭りのもう一つの主役です.(もしかしたら,こちらがメイン?とも思えるキャラクターです)

 鳴海の中嶋町の「あたらし」をルーツとして緑区の鳴海・大高・有松と南区星崎・呼続、瑞穂区・井戸田や東海市北部に今でも見ることができます..
 「猩々の馬鹿や〜い」とはやしたる子供達を追いかけ回し,大きな手でおしりをたたく遊びが今も行われています.(右写真は曽根第一公園で)

祭りの間旧東海道のあちらこちらで大小さまざまの猩々を見かけました.当写真館の趣旨を外れるので詳しくは解説出来ませんが,表方祭りと猩々は切り離せないモノと思います.とても興味のある題材ですので,いつか機会があったら取り上げてみたいと思います.

傘鉾車
 傘鉾は笠鉾とも書かれ,長い柄の付いた傘に水引幕を下げ傘の上にそれぞれ趣向を凝らした飾り物を付ける.これを銘々が持って歩く物を言う.この傘鉾は徐々に本格化し豪華な彫り物で飾り付け漆塗りの台車に載せた傘鉾車へと進化した.
 この傘鉾及び傘鉾車は緑区大高や南区でも見られ,他地区にも傘鉾祭りから山車祭りへと進化した例は見られますが,傘鉾と山車が両方残されている地区は多くはないようです.(未調査です)
作町の傘鉾車
標具に文政7年(1824)の銘があり,昇龍・降龍の彫刻は瀬川治助重定の作.

参考資料:「緑区の祭礼と山車」芝隆史著・
「尾州彫物師瀬川治助木彫の世界」水野耕嗣著
鳴海パンフレット他
鳴海パンフレット他
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