尾張横須賀まつり〜北町組「楓童車」

09-07-18更新

北町組の山車は、江戸時代後期の文政9年(1826)から文政10年(1827)にかけて建造されました.

また、その40年後の元治元年(1864)には山車の漆塗りや箔押しなど数多く手が加えられ、同時に瀬川治助重光によって前棚下の壇箱彫刻「老松」が新たに追加されています.
高欄下の支輪彫刻は瀬川治助重定による「唐獅子」で、「手鞠獅子」など多彩な姿の獅子が山車の四周を囲んでいます.

山車の赤幕(大幕)は横須賀の山車では唯一、当初より組名「北町」の刺繍が入っていました.
からくり人形は紅葉の木に倒立する唐子遊びで、上山に大唐子、小唐子、前棚には采振人形の合計3体です.
北町組の山車は紅葉(楓)の木に遊ぶ唐子(童)のからくりに因(ちな)み、「楓童車(ふうどうしゃ)」とも呼ばれます.また、山車の幕板には彩色された楓が飾られています.

昭和51年(1976)解体修理


空木立(からきだち)

正面

 宵祭り

■水引幕「赤地に竜虎・亀・鳳凰・麒麟の刺繍」

赤地の水引幕は、右側面に「麒麟(きりん)と鳳凰(ほうおう)」、左側面に「龍と虎」、後面に「亀」と5種の瑞獣が刺繍されています.

この北町組と全く同じ意匠の水引幕が知立祭り(知立市)の中新町と鳴海裏方祭り(名古屋市緑区) の花井町にも見られます.また、挙母祭り(豊田市)の喜多町、 出来町天王祭の古出来町「王羲之車」も地色は異なりますが、同じデザインと考えて良いでしょう.
経緯は不明ですが、この水引幕は文化8年(1811)に中村梅逸下絵による名古屋東照宮祭中市場町「石橋車」(戦災消失)と構図が同じものです.

 

山車の内部にある板書です.
『昭和19年9月吉日 大東亜戦争 必勝祈願 行司 村瀬丈太郎
昭和18年祭礼当日 屋台地上へ落し破損至其れ故修理至者也』
昭和18〜19年といえば戦争も一際激しくなった頃です.戦時中も途切れることなく祭礼が行われていた証でしょう.

前棚直下に残る鴨居の溝.
かつて引戸があったのでしょうか.
この位置に溝があるのは横須賀では北町組の山車のみです.

文政辛巳5月吉日と書かれた木箱
文政年間の辛巳(かのとみ)は文政4年(1821)になります.
北町組の山車(文政10年建造)より古い木箱です.
先代の山車が存在したのでしょうか.それとも現在の山車が文政10年の建造ではなく、更に古い年代なのかは今のところ判っておりません.


撮影年代不明の写真