10-02-14更新

知多郡南知多町内海〜東端地区

東端高ノ宮神社の祭礼に1輛の山車が曳き出されます.
山車は唐破風の前山を備え、台輪の外側に車輪があり、その周囲を輪懸で覆う、いわゆる知多型外輪に分類される山車です.同様の山車は東海市大田知多市岡田にも見られます.
山車本体や彫刻などは漆塗と彩色が施され、壇箱の奥行きが短い事、前山の四本柱の間隔が広い事など古式知多形の特徴を備えています.(仏壇車と呼ばれることもあります)

この山車は当地で造られたものではなく、隣の北脇村(現南知多町内海字北脇)がよそから購入した山車です.北脇では幅が広すぎて地区内を曳くことが出来ず、蔵に保管されたまま使われなかった山車を、明治25年頃?(1892)に東端が購入したものです.
天保年間以前の建造ともいわれる古い山車ですが、北脇が購入する以前の履歴など詳しい事は解っていません.

この東端には、現在の山車を購入する以前にも山車がありました.それは当地の豪商前野小平治が贅を尽くして建造し寄進したと言われる豪華な名古屋型の山車でしたが、明治8年(1875)に有松中町(名古屋市緑区有松町)に百円で売却されています.現在曳かれている山車はその後、青年達の山車復活の要求に応え、前述のように北脇村から購入されました.
一時休止されていた山車祭りは、昭和55年に復活し平成20年には山車蔵が新たに建造されています.


有松中町の山車

東端の山車彫刻

前野小平次

江戸時代に内海を本拠にした回船主で、尾張藩の御用商人として財をなし天保期には10艘近くの回船を所有していたと伝えられます.
現在有松にある山車は六代目小平治が巨費を投じて建造したといわれ、高価な紫檀・黒檀・鉄刀木(たがやさん)など唐木をふんだんに用いています.高欄・虹梁などに精緻な彫刻を、また螺鈿・珊瑚などで飾られた豪華な山車です.

からくり人形

■分類
湯取神事
■作者
不明
■制作年
明治26年(1893)

湯取神子

神官
山車は全体を漆で塗り、彫刻や部材は彩色されています
枡組
当初、この山車は内輪の知多形だったようです.
平台輪(山車の土台)の裏側に車輪が擦れた痕跡が残されており、内輪から外輪に改造されたと思われます.
この改造は東端に譲られてからとの事で、先代の山車が名古屋型であったことから、外輪にして輪懸を設けたのでしょか.

 

先代の山車(名古屋市有松町中町「唐子車」)

輪掛で外輪を覆った山車

山車後部にはカラフルな吹き流しを飾ります.