尾張の山車まつりへ [知多の山車館]−[大田まつり]

知多の山車館〜大田まつり  

03-08-21更新

 東海市大田町は,かつて大里村と呼ばれ尾張藩家老の成瀬家の知行地でもありました.良質な田畑を有し財政的に豊かなことを背景に,4台の山車を保有し現在に伝えています.
 
山車の特徴
 18世紀後半,隣の横須賀町方とほぼ同時期に他村から買い入れたり,改造したりして山車祭りが開始されたといわれます.山車の建造年代はそれより遡ると推定されますが,改造時期以前の記録は残っておりません.
 山車4台はいずれも壇箱を前に持つ知多型で,車輪は名古屋型のように外輪で輪懸けで覆われています.
知多型と名古屋型の両方の特徴を持つ,いわゆる知多型外輪で、同形式の山車は知多市岡田や常滑の北条,南知多町内海東端でも見られ,かつては東海市高横須賀にもありましたが,明治初期に廃止されています.
 大田の山車は,前壇の4本柱の間隔が広い・蹴込みの彫刻がない・漆塗り・上山の柱が角・など知多型古式の特徴を多く残しており,壇箱の位置も高いものとなっています.各山車ともに改造時に瀬川治助重定らの彫刻によって飾られています.
 前壇には采振り人形は無く,組名の書かれた提灯が飾られ,4台の山車の上山にはすべてからくり人形が載せられています.このからくり人形は昭和49年7代目玉屋庄兵衛の手により修理復元されています.
また平成11年には平成の大修理が完了し,見違えるようになった山車は往時の姿に蘇っております.

輪懸
 巻き込み防止のため、外輪の車輪を覆ったもので、名古屋型の山車に見られます.
ここで紹介する大田の山車は前述のように知多型にもかかわらず外輪の形状です.かつては多くの知多型のように内輪だったのを、明治期に現在の外輪に改造されたものです.
 内輪から外輪にした理由については,かつて転倒事故がありその対応として山車の安定性を高める為,また知多半島北部に位置するため名古屋や隣の横須賀の名古屋型の山車を見る機会も多く抵抗もなかったのではないかと推測されます.また高横須賀村から常滑・北条に譲渡された山車も同様に内輪から外輪に改造されているようです.

山車の紹介

市場組 黒口組 里組 荒古組
市場の山車 黒口の山車 里の山車 荒古の山車
山車彫刻 山車彫刻1 山車彫刻 山車彫刻1
からくり からくり からくり からくり
平成14年 平成14年 平成14年 平成14年
大田祭りの様子

参考資料
東海市史・横須賀町史・東海市文化財調査委員報告書
東海市の祭ばやし・瀬川治助木彫の世界・他

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