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尾張津島天王祭り

03-07-02追加

 津島天王祭りは,7月第4土日に津島神社と天王川公園で繰り広げられる大祭で,一般に津島川祭り・津島祭とも呼ばれます.
 一般的に知られる神葭神事と車楽による川祭りが中心になりますが,ここではそのなかでも広く知られる宵祭朝祭を中心に紹介します.

・津島川祭りの由来
 須佐之男命が,西の海より津島湊の河口である市江島に着岸した折に,草刈りの童子が遊び戯れているのを見て,稚児の舞,笛の譜を作ったといわれます.その後,疫病の流行とともに神を慰めるため,この祭りが行われるようになったという説.
 また,後醍醐天皇の子孫,南朝の良王を守る津島武士(四家七党)が,北朝方の武士を船遊びにことよせて,討ち取ったことからとも伝えられます.
 記録に現れるのも古く,大永2年(1522)には津島三車の大山・車楽があったことが判ります.

・宵祭りと朝祭り
 宵祭りは土曜日の夜,提灯に彩られた津島五車(下構・今市場・筏場・堤下・米之座の旧津島ヶ村)の車楽(だんじり)が参加して行われるものです,
 一方朝祭りは翌朝,装いを新たにした津島五車に佐屋町の市江車を加えた6艘に能人形を飾ります.
 このように,現在では車楽と呼ばれる山車(船)だけの祭りとなっていますが,明治5年(1872)までは津島5ヶ町から大山と呼ばれる山車(船)が登場していました.
 
宵祭り詳細
朝祭り詳細

大山と車楽
宵祭り詳細


・津島神社
 全国に三千有余あるといわれる天王社の総社で,津島須佐之男命を祭神として,古くより尾張天王社として知られます.『津島の天王様』,『津島さん』と呼ばれ,疫病・厄難除けの神様として全国から崇敬されています.
 歴代尾張国主となった織田・豊臣・徳川氏の崇敬も厚く,現在の本殿は清須城主だった松平忠吉(家康四男)の寄進で,楼門とともに桃山様式を今に伝える建物です.(重要文化財指定)
 明治6年県社.大正15年国幣小社に列せられる.
・船
津島五車
市江船
 祭りに使われる船は,江戸時代には,津島五車は熱田や佐屋などより20艘.市江車は美濃から2艘を尾張藩を通じて貸し出されていました.市江車は百石船で舵があり,津島五車も50〜60石の船を使用していたと伝えられます.
 現在では,長さ13.6m,幅2.1mで祭り専用の船として保管されています.
 これらの船は宵祭りの2日前,天王川御旅所前で古式にのっとり,くじ引きで各車に割り当てられます.(船分け)
 この船を2艘並べ「しら」「はしり」などの部材で固定し,屋形を船上に置き据えます.
・車河戸
 天王川の東南の入り江で,堤には津島五車の祭り小屋があります.この入り江で津島五車は宵祭りや朝祭りの準備をします.
 なお,ここより南100mに市江車と市江車の小屋があります.
・布鉾
 先頭の市江車が中の島あたりまで進むと,市江車に乗った10人の鉾持ちは麻縄で布鉾を体にくくりつけ,1番鉾から順番に水中に飛び込みます.鉾持ちは御旅所まで泳ぎ進み,身を清め上陸し津島神社まで走り進むのです.
 


朝祭り山車の詳細
市江車 今車 筏場車 下車 堤下車 米車
市江島 今市場 筏場 下構 堤下 米之座

能人形は平成12年です.

参考資料:
津島川祭  津島神社奉賛会
津島祭  愛知県教育委員会
祭礼事典  桜楓社
尾張の天王信仰 名古屋市博物館
まつり通信437 「尾張津島天王祭」 黒田幹夫

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