津島天王祭りは,7月第4土日に津島神社と天王川公園で繰り広げられる大祭で,一般に津島川祭り・津島祭とも呼ばれます.
一般的に知られる神葭神事と車楽による川祭りが中心になりますが,ここではそのなかでも広く知られる宵祭と朝祭を中心に紹介します.
・津島川祭りの由来
須佐之男命が,西の海より津島湊の河口である市江島に着岸した折に,草刈りの童子が遊び戯れているのを見て,稚児の舞,笛の譜を作ったといわれます.その後,疫病の流行とともに神を慰めるため,この祭りが行われるようになったという説.
また,後醍醐天皇の子孫,南朝の良王を守る津島武士(四家七党)が,北朝方の武士を船遊びにことよせて,討ち取ったことからとも伝えられます.
記録に現れるのも古く,大永2年(1522)には津島三車の大山・車楽があったことが判ります.
・宵祭りと朝祭り
宵祭りは土曜日の夜,提灯に彩られた津島五車(下構・今市場・筏場・堤下・米之座の旧津島ヶ村)の車楽(だんじり)が参加して行われるものです,
一方朝祭りは翌朝,装いを新たにした津島五車に佐屋町の市江車を加えた6艘に能人形を飾ります.
このように,現在では車楽と呼ばれる山車(船)だけの祭りとなっていますが,明治5年(1872)までは津島5ヶ町から大山と呼ばれる山車(船)が登場していました.
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