
石橋組の山車創建は定かではありませんが、宝暦年間に建造され文化13年(1816)まで曳かれていた旧車が現在の碧南市新須磨(大浜上区)に譲渡されていますので、それ以前から山車を保有していたと思われます。
現在の青龍車は明治24年(1891)に横松(現阿久比町横松)の大工江原新助によって建造されました。
この時代は江戸時代から明治維新を経て近代への過渡期であり、文化的にも西洋美術が台頭してきた時期に重なります。
青龍車はそのような世の中の流れと、元来の伝統を守る部分が巧みに融合した山車と言われます。
猩々緋の多いこの地方の山車では一際目をひく紺羅紗地の大幕には金糸で龍が刺繍され、前棚に輝く七宝焼の4本柱とともに青龍車の特徴ともなっています。
山車彫刻は八代目彫長(早瀬長兵衛)による台輪彫刻の「漠(ばく)」をはじめ、帝室技芸員(現在の人間国宝に匹敵)の竹内久一が壇箱彫刻を担当し、初代彫常、伊藤則光(松次郎:彫松)らの作品で飾られています。
また前述の七宝の前棚四本柱は名古屋の七宝焼作家である川口文左衛門によるものです。(現在の柱は名古屋の安藤七宝店による復元新調)
前棚のからくり人形は弘化2年(1845)竹田源吉による「布ざらし」で、頭に手ぬぐいを巻きたすき掛けをした女性が謡曲「越後獅子」に合わせて舞うものです。
この布ざらしは六玉川のうち「調布の玉川」をあらわしており、布を水辺に晒す様子を両手に持った白布を上下に振ることで表現しています。
上山人形は「唐子遊び」です。二体の唐子が蓮台を廻し、その蓮台の上で別の唐子が逆立ちをして鉦を叩くものです。
天保12年(1841)鬼頭二三の作
大幕は、かつて白地幕だったものを平成元年に紺地に波と龍の金刺繍に復元しました。
追幕は、緋羅紗地に「五獄眞形図」という道教思想の金刺繍です。
- ■建造
- 明治24年(1891)
- ■主な彫刻
- 壇箱:「風伯神・雷電神」(竹内久一)
- 脇障子:「日本武尊・須佐之男命」(伊藤則光)
- 蹴込み:「牡丹と石橋」(竹内久一)
- 前山懸魚:「子持龍」(彫常)
- 前山四本柱(川口文左衛門)
- 台輪木鼻(早瀬長兵衛)
- ■山車幕
- 大幕:波上に勇む青龍の金刺繍
- 水引幕:朱雀の縫いつぶし
- 追幕: 緋羅紗地に五山の譜の金刺繍
- ■からくり
- 前棚:布さらし(竹田源吉)
- 上山人形:唐子遊び(鬼頭二三)