東組宮本車は江戸時代末期の元治2年(1865)に建造され、亀崎5輛の山車でも最大級の大きさを誇ります。
東組は氏神(神前神社)を組域に持ついわゆる宮本の組で、応仁・文明の頃当時の寺浦(現在の寺山)に来着した落武者により、「荷車様のものに笹竹を立て巴の御紋章を附し」町内を曳き廻したのが宮本車の元祖であり、潮干祭の起源だとされています。
前棚で三人遣いの「三番叟」と上山では「湯取り神事」のからくり人形を奉納します。
また、榊を車神とし梵天を用いないなど、他の4車と異なる部分が多く宮本(の)車として神社との深い繋がりを持つ山車です。
宮本車の自慢の一つに前山四本柱があり、堆朱の技法を用いた八代目早瀬長兵衛作の「昇龍降龍」の彫刻が施されています。
代表彫刻は元治2年(1865)瀬川治助重光作の壇箱『龍と虎』、脇障子「獅子の谷落とし」、前山蟇股「鵺退治」などがあり、大正11年(1922)には初代彫常(新美常次郎)作の蹴込「群亀舞」が制作されました。
先代の宮本車は、元治元年(1864)に衣浦湾をはさんだ対岸の碧南市鶴ヶ崎へ譲渡され、現在も秋の祭礼(山神社)に「玉車」の名称で曳き廻されています。
この先代車は文政5年(1822)の建造で、随所に塗りが施された古い形式を残した山車で、堆朱の柱などを早瀬長兵衛吉政(六代目彫長)が制作しています。
- ■建造
- 元治2年(1864)
- ■主な彫刻
- 壇箱:「龍に虎」(瀬川治助重光)
- 脇障子:「獅子の谷落とし」(瀬川治助重光)
- 蹴込み:「亀群舞」(初代彫常)
- 前山蟇股:「鵺退治」(瀬川治助重光)
- ■山車幕
- 大幕:猩々緋に宝珠の金刺繍
- 水引幕:白地に七五三縄の金刺繍
- 追幕: 猩々緋に七曜星の金刺繍
- ■からくり
- 前棚:三番叟(日下浄雲)
- 上山人形:湯取神事(荒川宗太郎)