亀崎東組|宮本車|山車彫刻

壇箱や脇障子など主な彫刻は元治2年(1865)の山車新造時に名古屋の彫刻師瀬川治助重光によるものです。早瀬長兵衛の前棚四本柱は堆朱の技法が用いられています。
さらに新美常次郎、新美茂登司、竹内久一らによる多彩な彫刻が加えられています。

■壇箱「龍に虎」

壇箱「龍に虎」元治2年(1865)瀬川治助重光作
梅と竹を配し、龍と虎が対峙します
瀬川治助重光
文政2年(1819)頃の生まれで明治22年(1888)没という。
瀬川治助重定の子で名古屋市内をはじめ横須賀、岡田、大野、阿久比、成岩など知多半島にも多くの作品を残している。
繊細な彫りが特徴。

壇箱 「龍」

壇箱「虎」元治2年(1865)瀬川治助重光作

壇箱 「虎」

壇箱「龍」元治2年(1865)瀬川治助重光作

壇箱側面 「波・梅」

壇箱側面「岩と波」元治2年(1865)瀬川治助重光作

壇箱踊台蹴込み 「唐草」


元治2年(1865)瀬川治助重光作

■脇障子「獅子の子落とし」

獅子は子を産むとその子を深い谷へ投げ落とし、生き残ったものだけを育てるといわれる伝説を表現したもの

脇障子(ハ通り)

元治2年(1865)瀬川治助重光作

脇障子(イ通り)

元治2年(1865)瀬川治助重光作

■前棚四本柱「昇龍降龍」

八代目早瀬長兵衛の作で堆朱の技法で昇龍降龍の線彫が施されています。
堆朱とは漆を何度も塗り重ね厚みが出来た漆に彫刻を施すもので、旧車(碧南市鶴ヶ崎に現存)の前山四本柱にも同様の技法が見られ、これは八代目早瀬長兵衛の祖父六代目彫長早瀬長兵衛吉政によるものです。
八代目早瀬長兵衛
六代目彫長早瀬長兵衛吉政の孫にあたり、木龍堂元兵衛と号した。幕末から明治にかけて当宮本車や石橋組青龍車などの山車彫刻や神社仏閣を数多く手がけた。
青龍車の脇障子などを手がけた伊藤松次郎則光や新美常次郎(初代彫常)は 八代目長兵衛の弟子である。

前棚四本柱

元治2年(1865)早瀬長兵衛(八代目彫長)

前棚四本柱

元治2年(1865)早瀬長兵衛(八代目彫長)

蹴込み 「亀群舞」


大正11年(1922)新美常次郎作

持送り 「唐草」


元治2年(1865)作者不明

台輪木鼻 「唐草」


昭和60年(1985)新美茂登司(二代目彫常)作
旧台輪は平成3年(1991) 鶴ヶ崎に譲渡し玉車にて使用している。

ゴマ隠し「亀群舞」


昭和60年(1985)新美茂登司(二代目彫常)作

前山鬼板 「左巴と雲」


明治39年(1906)新美常次郎作
獅子口と呼ばれる形式で経の巻とよばれる円筒状の材が載せられています
知多の山車で多く見られる鳥衾はありません
経の巻
経巻のような形状で神社や門跡寺院など一部の寺院の瓦にみられます

前山懸魚 「親子鷹と松」


元治2年(1865)瀬川治助重光作

前山桁隠し(ハ通り) 「松」


元治2年(1865)瀬川治助重光作

前山桁隠し (イ通り)「鷹と松」


元治2年(1865)瀬川治助重光作

前山太平鰭「金烏玉兎の図」


明治42年(1909)竹内久一作
金烏玉兎(きんうぎょくと)
金烏は大洋に棲むとされた3本足の烏(からす)
玉兎は月に棲むされた兎(うさぎ)
太陽と月を表現しています

前山蟇股 「鵺退治」


元治2年(1865)瀬川治助重光作
近衛天皇の代に源頼政が紫宸殿の上にいた鵺(ぬえ)を退治する物語です
瀬川治助の得意とする題材です
鵺(ぬえ)
鵺は頭が猿、胴は狸、尾は蛇、足は虎に似た怪鳥で想像上の動物です

前山虹梁


元治2年(1865)瀬川治助重光作

前山木鼻


元治2年(1865)瀬川治助重光作

前山手高欄「波」


元治2年(1865)瀬川治助重光作

上山高欄蹴込み「松に山鵲」


明治39年(1906)新美常次郎作

上山鬼板・懸魚 「鳳凰」


懸魚:元治2年(1865)瀬川治助重光作

胴山支輪・蟇股


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