北勢(伊勢北部)地方には四日市祭や鈴鹿市北長太地区のように名古屋系統の山車も見られるが、数の上で圧倒的に多いのは石取祭車である。また、四日市周辺には鯨船という特徴のある山車が分布する。
桑名市の石取祭(写真63)に代表される、小型の三輪の山車。背後に大太鼓を据え、その両側に大きな鉦をつるす。
囃子方は徒歩で囃子(石取囃子)を奏しながら進む。初期は上に造り物を置いたが、現在は12張の提灯を飾る形の物が多い。桑名石取祭の39輌をはじめとし、北勢地方から尾張西部にかけて約100輌が分布する。
初期の石取祭車は簡単な構造のものだった(上に造り物を置く)が、文化年間(1804~1818)頃から本格的な山車(4輌)となり、文政から天保(1818~1844)頃に三輪構造に変わった。
現在、四輪構造のものは桑名の東隣の員弁町(現いなべ市)、東員町に多く残っている。(注16)
四日市市を中心に分布する船型山車。現在、四日市市富田地区(写真64)、同市南納屋町(大四日市祭)など4ケ所に7輌が伝えられている。
はりぼての鯨を使って、鯨と格闘し仕留める様子を演じる。いかにも漁師町らしい勇壮な山車である。