名古屋の東照宮祭、若宮祭に出された二層式山車の形式を「名古屋型」という。愛知県、岐阜県には名古屋型、またはこれと良く似た山車が多い。
その数は約300輌におよび、中京地方の山車の中心となっている。いずれも東照宮祭の直接、間接の影響を受けて作られたものである。
私はこの系統の山車を「尾張系山車」と名付け、12形式に分類している(注15)。
その形式の特徴は
・外観二層式(内部は三層が多い。一部は外観三層式)
・上層は小さな屋根を四本柱(一部は六本柱)で支える形
・下層に囃子方が乗り、幕で覆う
・上層にからくり人形を置くものが多い
などである。本来は人形山だが、19世紀以後は人形を持たないものも多くなった。
東照宮祭に始まる山車の形式。上層の前部に一段下った「前棚」がある。ほとんどの山車がからくり人形を持ち、前棚に麾振り人形を置く。
車輪は外輪で、「輪懸け」(木柵)で覆っている。中世の大山や車楽の影響を受けて作られたものと思われ、17世紀後半に形ができ上がった。
東照宮祭、若宮祭、天王祭の名古屋三大祭りの山車のほとんどがこの形式だった。三大祭りの山車の多くは戦災で失なわれたが、現在も名古屋周辺、美濃中部等に約60輌がある。
代表的な祭は名古屋市の出来町天王祭(写真49)、筒井天王祭、有松祭、西枇杷島町(現清須市)の西枇杷島祭、小牧市の秋葉祭、東海市の横須賀祭、岐阜県美濃市の美濃祭など。
犬山市犬山祭の山車の形式。外観三層式の高大な山車で、そのほとんどがからくり人形を持つ。
18世紀前半頃に成立した。犬山祭(写真50)、一宮市の石刀祭、岩倉祭など、尾張北部を中心に約20輌がある。
愛知県津島市、津島秋祭(写真51)の13輌の山車の形式。いずれも小型で、上層四本柱の下に高い基壇を作り、ここを彫刻で飾る。
すべての山車がからくり人形を持つ、18世紀中頃に成立した。当初は津島天王祭の車楽に似た形だったが、19世紀前半に改造されて名古屋型に近い形となった。
愛知県の知多半島全域に分布する山車の形式。現在使用されているものだけでも80輌を越える。
下層の正面に唐破風屋根を持つ前山を持ち、白木造りでたくさんの彫刻で飾られたものが多い。
知多では18世紀前半から山車が曳かれていたが、最初は簡素なものだった。
知多型が現在のような白木造りの豪華な山車となったのは19世紀以降である。
代表的な祭礼は半田市の亀崎潮干祭(写真52)、乙川祭、下半田祭、成岩祭、武豊町の長尾祭、大府市の藤井神社祭礼、東海市の大田祭、常滑市の常滑祭、美浜町の上野間祭など。
知立祭に代表され、三河地方で発達した形。知多型と基本的な形は共通するが、漆塗りのものが多い。
少しずつ形の異なる様々な形式のものがあり、本稿では西三河周辺に分布する同系統の山車を引っくるめてこう呼んでいる。
知多型と知立型は、18世紀前半にはほとんど差がなかったが、18世紀後半以降にそれぞれが独自の発達を遂げ、はっきり区別できる形になった。
代表的な祭礼としては知立市の知立祭(写真53)、名古屋市の鳴海祭裏方、三好町(現みよし市)の山車、岡崎市矢作町の山車など。この型に属する山車は、約20輌がある。