名古屋市中村区花車神明社祭〜二福神車

広井村下花車町の見舞車の歴史を持つ二福神車です.
山車の建造に関する資料は残されていませんが、山車庫に「天保七歳丙申六月吉日」と書かれた彫物箱が保存されています.
また、現在の二福神車の先代の山車が浜北(浜松市宮口) に現存しており、この三階屋台と呼ばれる先代二福神車は文政4年に建造されています.
このことから、下花車町では文政4年(1821)には既に山車を保有しており、その後天保7年(1836)に現在の山車を新造.それまで使用していた山車を売却したことがわかります.

山車名の由来になっているからくり人形は恵比寿と大黒の二福神で、恵比寿が鯛を釣って喜び、大黒が打ち出の小槌で宝袋を叩くと宝船が飛び出す仕掛けです.今は無き東照宮祭の上長者町「二福神車」と同様のからくりだと言われます.
水引幕は森高雅下絵といわれる「金波怒濤」で、平成19年に復元新調された赤大幕正面「下花車」の黒糸刺繍は柳沢吾一の書です.
 明治10年、昭和11年、昭和27年.昭和34年、昭和36年.昭和48年と山車本体やからくり人形、山車幕など随時修理・新調されており、町内の人々が手塩にかけて維持保存されてきたことがわかります.
最近では平成11年に水引幕を復元新調、平成19年には赤幕を新調しました.

「金波怒濤」の水引幕.
森高雅下絵による金糸刺繍
平成11年復元新調
夜用の替幕.平成11年制作

二重折上げ天井
2段に折上げた格天井は珍しいものです.

「惣臺彫物之筥」と書かれた箱蓋の裏面には
天保七歳丙申六月吉日と墨書されています.

山車前面の「波の彫刻」
先代の二福神車から継続して使用.

高欄下の素木彫刻は森高雅の下絵と伝えられ
一部は七代目玉屋庄兵衛が修復している.

高欄金具は、明治10年頃に若宮祭中須賀町「寿老人車」のものを譲り受けたという.

霞幕は「宝船と千鳥」

前棚高欄蕨手

鬼板・懸魚

[前のページに戻る]