公通組は「八公組」と「圓通組」が大正13年(1924)に合併して出来た組です.両組が所有していた八公車、圓通車は合併後も公通組が引き継ぎ、余剰となった山車を譲渡することなく、現在も2輛の山車を保有しています.
祭礼では旧八公車と旧圓通車の山車が隔年で交互に使用されています.
古い山車蔵の棟札に「文政六癸未八月・・・祭礼車并土蔵」と書かれており、また「再造」とも記されていることから、文政6年(1823)に山車と土蔵が再建されたことがわかります.
一説には文化2年(1805)の建造で名古屋より購入されたともいわれますが、その根拠などは不明.
支輪彫刻の「波に龍」等は瀬川治助重定の作品で、正面壇箱は瀬川治助重光得意の「烏天狗」です.この治助重定による山車全周を囲む支輪部の彫刻と、 重光による前棚部の白木彫刻の組み合わせは、その後に建造された北町組(1827)や本町組(1842)にも継承され、横須賀型の祖型とも言える山車です.
公通組の所有する2輛の山車は、随所に白木材を使用した、均整の取れた八公車と、金仕上げの重量感ある圓通車.対極的なのは偶然でしょうか.
平成11年、赤幕新調にあわせて前面に「八公」の文字が入りました.
平成18年解体修理.
空木立(からきだち) |
夜祭り |
大幕の金具「揚羽蝶」 |
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前面の赤幕は乳(ち)を使い固定するため特徴的. (圓通車も同様です) |
からくり人形は嘉永6年(1853)の作 |
旧山車蔵の棟札 |
天保6年の旧水引幕箱の蓋 |
官員さんが乗った昭和時代の八公車です. |
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