支輪部の彫刻は「波に龍」で瀬川治助重定の作.制作年時は不明ですが、山車の建造年が旧山車蔵の棟札から文政6年(1823)であり、 また同棟札に「彫物師 瀬川次(治)助」と書かれている事から、この支輪彫刻を含めた主要な彫刻は文政6年前後に制作されたと考えてよいでしょう.
この龍の彫刻は本町組山車や公通組圓通車同様に、8分割された彫刻が山車の四周を囲むように4匹の龍が配置されています.
檜(ヒノキ)材に漆塗りを施して龍は黒漆、波は茶漆で塗られ龍の火炎は金で仕上げられています.また龍は玉眼で瀬川得意の彫刻の裏側からガラスの眼を填めこんであります.
左側面 |
右側面は頭部の破損が激しい |
隅部は波 |
解体したときの様子 |
文政六年の八公車旧山車蔵棟札 「彫物師 瀬川次助」とある. |
彫刻裏の墨書「瀬川 藤原 重定」 |
彫刻裏の墨書「瀬川 花押」 |
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彫刻下面の墨書 「尾州名古屋末廣町彫物師瀬川治助重定作」 |