神楽車の彫刻は蹴込(立川和四郎冨昌)を除きその大半が立川常蔵昌敬によるもので、その数184点になるといいます。
代表彫刻は壇箱「蘭亭の庭、蟇仙人、鉄拐仙人」などで、その細やかな細工と繊細さは常蔵昌敬の最高傑作とされます。
明治43年(1910)尾張三社にて転倒し多くの彫刻を破損し、新美常次郎によって応急処置的な修理が行われました。
その後の破損・欠損もあり、平成13年から3年間をかけ平成の大改修の一環として山口県小郡在住の有馬白匠要治師によって彫刻の修復が行われました。
■壇箱「蘭亭の庭、蟇仙人、鉄拐仙人」
立川常蔵昌敬の最高傑作といわれる壇箱です。以前は「花鳥」としていた壇箱の題材名ですが、近年田中組の調査で「蘭亭の庭」と判明し訂正ました。
立川常蔵昌敬
初代立川和四郎冨棟の娘婿で、二代目和四郎冨昌とともに力神車をはじめ亀崎・半田の山車を多く手がけています。
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
壇箱「蟇仙人」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
蟇(がま)仙人
諸説あるが呂洞賓に仙術を教わった劉海蟾をモデルにしているとされる。
三本足の蝦蟇を使って妖術を行ったという。
日本でも絵の題材として有名で、李鉄拐(鉄拐仙人)と対の形で描かれる事が多い。
壇箱「鉄拐仙人」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
鉄拐(てっかい)仙人
中国隋代の仙人で、八仙の一人。李鉄拐とも呼ばれる。
仙術を学び精神を体から分離する「離魂の法」に熟達していたとされる。
この神楽車の彫刻は口から魂が抜ける姿を現している。
自分の身体を焼かれたため、近くに足の不自由な物乞いの死体を見つけて、その身体を借りて蘇ったいう。
壇箱「蘭亭の庭」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
壇箱側面(ハ通り) 「竹林に雀」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
壇箱側面(イ通り) 「水くぐりの梅」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
壇箱猫足「乱獅子に唐草」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
■脇障子「三国志 阿斗・超雲に張郃(ちょうこう)」
超雲と阿斗
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
長坂坡の戦場から趙雲が阿斗(劉禅)を救出する場面
張郃
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
張郃が超雲を探している場面
前山手高欄「菊」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
蹴込み 「唐子に小犬」
天保8年(1837)立川和四郎冨昌作
持送り「波に亀」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
持送り(内側)「波に亀」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
台輪木鼻
昭和5年(1930)新美常次郎作
前山鬼板 「梅に雀」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山懸魚「太真王文人(波に龍)」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山桁隠し(ハ通り)「龍」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山桁隠し(イ通り)「龍」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山太平鰭「唐松に獏」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山蟇股 (前)「三国志(桃園の誓い)」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山蟇股(後)「粟穂に鶉」
天保8年(1837)昌敬造
前山蟇股(横)「桜に文鳥」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
有馬白匠要治作?
前山木鼻
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
前山尾垂木「龍・鳳凰・桐」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
胴山柱巻「乱獅子」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
胴山蟇股のハ通り3「八福神のうち福禄寿」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
上山鬼板・懸魚
鬼板:家紋に雲 明治43年(1910)新美常次郎
懸魚:弄玉仙人 天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
明治43年の修復時に仙人が玉を持つ梅福仙人にされたが
平成の大改修の折、下絵に基づき弄玉仙人とした
上山蟇股 「子持ち龍」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作
子持ち龍で親龍に子龍が2頭配されるのは珍しい
上山木鼻「獏」
天保8年(1837)立川常蔵昌敬作