東海の山車祭り

第7章 山車研究のこれから (4/4)

以上のように、山車は今までの美術史の分類に入り切らない、独特の工芸品である。しかも江戸後期の町人文化の中では極めて重要な位置をしめていた。

山車は江戸後期の工芸技術の集大成であり、江戸町人の美意識をストレートに表現したものである。従って山車は江戸美術及び町人文化の一つとして、独立した新しい分野として研究すべきである、というのが筆者の主張するところである。

このような視点に基き、この解説では従来にない山車の形式分類や、江戸後期に重点を置いた山車の歴史の解説を行った。

ところで、以上の説明は美術史に興味を持つ筆者の立場から述べたものだが、もちろん山車祭りを構成する要素はこればかりではない。

まず囃子がある。そしてからくり、歌舞伎などの芸能、山車に伴う様々な行事や風習が伝えられている。また、山車を組み上げる技術、保管する技術、山車を曳く技術なども研究対象にはなりにくいが、山車を持つ町にとっては重要で、継承が難しい問題である。


109 遠州の屋台建造

さらに忘れてはならないのは、山車祭りは江戸文化を伝えるものではあるが、同時に現代の文化でもあるという点である。現在も山車の建造(写真109)に情熱を傾ける人々が多く、山車の改造や新造が続けられている。

特に遠州地方は山車(屋台)の建造が盛んで、どんどん新しい屋台がつくられている。山車祭りの中には現代社会に対応して形を変えるものもあれば、まったく新たに始められる祭りもある。

一方では人口の減少で運営の難しい祭もある。このような山車を巡る様々な現象は社会学の面でも興味が持たれている。(注18)

この本は山車をごく限られた一面から捕らえたにすぎず、今述べたような様々な問題にはほとんど触れていない。というよりは、筆者の勉強不足で手が出せなかったと言う方が正確である。また、山車を持つ町の住人でない筆者には扱い切れない問題も多い。

しかし、このような山車にまつわることすべてを、1人ですべて扱うことは不可能である。山車祭りは民俗学、美術史、建築史、社会学などの境界分野であり、これらの各分野の研究者と地元の町の人々が協力して取り組まないことには、十分な研究はできない。

この本は山車祭りの様々な面について十分に解説したものではないが、これから山車に興味を持つ人や、さらに進んで研究しようという人々のための入門書またはガイドブックになれば良いと考えている。

山車の研究は様々な分野の知識を必要とし、難しいものである。さらに、1年に1度の限られた日に現地に行かなければ見られないと言う難点もある。山車の研究がなかなか進まないのも仕方ないかもしれない。

しかし、山車祭りを継承し、発展させるためには学問的な研究は重要である。町の人々の中には、祭りは自分たちが楽しむもので、研究は必要ないと思われる人もいるかもしれないが、山車の研究が進むことによって祭事や芸能の正しい形や意味が明らかになり、より良い形で伝承することができる。
また、その価値が認められることによって、町の人々や行政サイドのバックアップも得られやすくなる。

筆者の希望は山車祭りが今後も盛んに続けられ、また現在衰退している祭りもにぎわいを取り戻し、このすばらしい文化が後世に伝えられてゆくことである。本稿がそのために少しでも役立てば幸いである。


前のページメニュー次のページ