ところで、江戸の山車は明治初期に壊滅し、その後に現れた町神輿に取って代わられた。現在では神輿が江戸の昔からのシンボルのように思われている。そのため江戸の山車は錦絵などの豊富な資料があるにもかかわらず、研究は進んでいない。
山車研究の上で、東京に山車が残っていない影響は大きい。もしマスコミや研究者が多い東京に山車があれば、もっと早くから山車が研究分野として確立されていただろう。山車祭りは極めて非日常的なものであり、身近なところに山車がない人々にはその文化的な影響の大きさは想像がつかない。
現在、関東、関西で江戸文化ブームが起こり、江戸後期の工芸品が見直されつつある(名古屋ではまったくその気配がない。この町の人々は本当に自分の町の文化に無関心である)。今のところ山車は注目されていないが、再評価される環境は十分整ったといえるだろう。
そこで、美術的な側面から山車について考え直してみよう。
山車の工芸品としての魅力を考える場合、第一に注目すべき点は山車の形である。各町が様々な工夫をこらして山車の形を作っており、山車の形こそ第一に町の人々が工夫するところなのである。
そしてこれは建築でも工芸でもない、まったく新しい美術分野である。
第二に注目すべき点は、工芸技術の巧みな組み合わせである。山車は工芸品としては大きく、建築物としては小さい独特の空間であるので、彫刻、漆工、金工など様々な工芸を密度高く積め込むことができる。
どのような種類の装飾を組み合わせ、どの装飾品に重点を置くかというところが山車の見せどころの一つである。
第三は工芸の意匠である。山車を飾る工芸品はすみずみまで細かな工夫がなされている。その意匠は山車の名称や人形にちなむものや、当時の流行が取り入れられていて興味深い。
なかでも一部の山車では、一つのテーマに沿って、装飾の意匠が選ばれる。例を挙げれば、名古屋市紅葉狩車の紅葉尽し(写真108)、高山祭琴高台の鯉尽しなどがある。また、高山祭五台山では、伝円山応挙下絵の大幕と、二代立川和四郎の彫刻による、豪華な獅子の取り合わせが見られる(中国の五台山は獅子に乗る文殊菩薩信仰で有名)。
このような楽しみは小さな空間に様々な工芸を組み込む山車ならでのものといえよう。