若宮大通の名前の元となった若宮八幡宮は、かつて今の名古屋城内にあたる位置にあったが、城ができた際に現在地(白川公園の東側)に移され名古屋の総鎮守とされた。
若宮祭では延宝元年(1673)に黒船車を出したのを初めとし、寛保元年(1741)までに7輌の山車が作られた。若宮祭は東照宮と並ぶ名古屋を代表する祭りだった。
しかし、明治に入ると、7輌のうち西王母車(後に戦災で焼失)が離脱し、布袋車(建造)は明治24年に有松へ売却された。さらに戦災で黒船車等3輌を失い、戦後、河水車が東区出来町に売却された結果、現在残るのは福禄寿車1輌になった。
明治初年の7輌は次のものである。
黒船車 | 末広町 | |
寿老人車 | 中須賀町 | |
西王母車 | 上玉屋町 | |
布袋車 | 下玉屋町 | (緑区有松町に現存) |
福禄寿車 | 大久保見町 | (現存) |
河水車 | 住吉町 | (東区新出来町に現存) |
陵王車 | 門前町 |
前述した通り、これらのうち、若宮祭に残っているのは福禄寿車(写真37)だけだが、他に緑区有松町に布袋車(写真38)が、東区新出来町に河水車がある。
また、岐阜県美濃市には黒船車の先代の山車(写真39)が残り、東区新出来町の鹿子神車は河水車の先代の山車(当時は山車名を産宮参と呼んだ)を譲り受けたものと言われている。