名古屋にはかつて大きな祭が幾つもあった。その中でも東照宮祭、若宮祭、天王祭は名古屋三大祭りとして知られていた。
東照宮祭は名古屋最大の祭りで、城下の各町の出すたくさんの出し物が町を練った。その中心となるのがからくり人形を持つ9輌の山車だった。
戦前まで「名古屋祭」と言えばこの祭りを指した。東照宮祭の山車は、元和5年(1619)に大八車に西行の人形を乗せて出したのを始めとし(翌年これを牛若弁慶のからくり人形に改めた)、宝永4年(1707)までに9輌の山車がそろった。
これらの山車は何度も改造されて豪華になり、盛大な祭りが行われて来たが、昭和20年の戦災ですべての山車を焼失した。戦前の9輌の山車は次の通り。
橋弁慶車 | 七間町 |
林和靖車 | 伝馬町 |
雷電車 | 和泉町 |
二福神車 | 長者町 |
湯取神子車 | 桑名町 |
唐子車 | 宮町 |
小鍛治車 | 京町 |
石橋車 | 中市場町 |
猩々車 | 本町 |
これら9輌のうち橋弁慶車、雷電車は露天の人形山だったが、他の7輌は名古屋型だった。すべての山車がからくり人形を持っていた。
これらはすべて焼失したが、桑名町で天保以前に使われていた旧車が東区筒井町に譲られて現存する(写真35)。東照宮祭で使われた山車で現存するのはこの1輌のみである。