鉾は本来は武器の矛のことである。矛は古くから神の依りしろとして使われ、今でも各地の祭りで、手に持つ形の矛が見られる。
京都では、鎌倉時代からこの矛が巨大化して装飾的になり、やがて踊り屋台の屋根上に立てられ、現在見られるような祇園祭の鉾となった。
これらの鉾の先端は、既に本来の形を失い、長刀や三日月の形などになっている。このように、高い柱を立て、先に飾りをつけたものを鉾と呼んでいる。
各地に見られる鉾は多くが京都・祇園祭の影響を受けたものと思われる。鉾の場合は、通常、他の種類の山車と合体した形を持ち、高岡市御車山祭の曳山は人形山と、蒲郡市三谷祭の山車は囃子屋台と合体したものである。
日本は海に囲まれているため、船と生活のかかわりが大きく、船と信仰のつながりは非常に複雑である。例えば、日本神話で少彦名神が船に乗ってやって来たように、神が船に乗って来訪するという考えがあった。
山車祭りでは、室町時代中期に祇園祭に「舩」(今の船鉾の前身と思われる)が出現した。これは、八幡信仰と結びつき、神功皇后を御神体として祀る物となった。(神功皇后の三韓征伐の船に見立てている)
船型山車には、都市型のものと、港町型のものとあるようだ。
都市型のものは、京都の船鉾の影響を受けており、犬山、長浜、唐津、名古屋若宮祭(戦災焼失)などがある。大きな祭の他の形式の山車の中に、1、2輌混じっている場合が多い。
港町型のものとしては、漁業や回船業の町で曳かれるものに多く、四日市の鯨船の山車、南勢地方の船だんじりなどがその典型である。勇壮で海の祭りといったイメージが強い。
以上のものは、船の形をした山車であるが、津島天王祭の車楽のように、山や鉾を船の上に造り、水上を渡るものもある。津島天王社の祭神・牛頭天王は疫病神で、水とのかかわりが深く、祭りの舞台として水上が選ばれた。