最初は、提灯や小さな行灯を持って、神輿の伴をしていたものが、大型化して山車に発展したものである。
全国的には、青森のねぶた・ねぷたや、能登半島のキリコなどがあるが、東海地方にはほとんど見られない。
小規模なものとして、愛知県刈谷市の万灯祭がある。
当初は徒歩で行列に加わっていた囃子方、踊り方が車に乗せて曳かれるようになったものである。現在、祭礼で使われている山車の中では、おそらく屋台、特に囃子屋台が最も多い。
しかし囃子屋台には、美術的に優れた物もあるが、素人造りの物が多い。また江戸時代に作られたものもあるが、近年に作られたものが多い。そのため文化財的価値を認められているものはその数の割には少ない。
太鼓を簡単な車に乗せたものから、高山祭の神楽台のように豪華なものまである。また、遠州地方等では、直径数メートルに及ぶ大きな太鼓に車を着けたものも見られる。
太鼓台の中でも、三重県北部の石取祭車、瀬戸内海沿岸のふとん太鼓などは、運搬用の車や台から発達したと言われている。
このように山車の成り立ちは様々で、しかも色々な要素が一つの山車の中に取り入れられている場合が多い。さらに江戸時代になると本来の意味から離れて自由に変形が行われ、山車の性格はますます分かりにくくなった。
東海地方の山車でも、その成り立ちが複雑なものが多く、厳密に性格づけをすることは難しい。
なお、前にも述べたように「山」「屋台」などの呼び方は、現在ではまったく意味の上で区別してして使われていない。たとえば高山の屋台は本来は人形を御神体とする人形山であるから「山」「曳山」「山車」などと呼ぶ方が元の意味からすると合っている。
また、愛知県豊川市の各地に見られる山車は御神体がない囃子車なので、本当は「山車」よりも「屋台」の方が良い。こうした例は他にもたくさんある。しかし、無理に呼び替える必要はなく、現在使われている呼び方で呼べば良いことは言うまでもない。