東海の山車祭り

第2章 山車の起源 (2/5)

難しい山車の定義

北勢地方(三重県北部)に分布する石取祭車については、いろいろ意見が分かれる。石取祭車は小型の三輪の車で、背後に大きな太鼓を据える。

桑名市街などには美術的に優れたものがあるが、一般的には簡素なものが多く、中には手作りの練習車などもある。愛知県の研究者は 、これを通常の山車とは区別して考える人もいる。

しかし、「東海の山車文化」という観点から見る場合、三重県の山車の3分の2を占める石取祭車を無視して、北勢地方には山車文化が育たなかった、と言うのでは実情と合わず、本稿では石取祭車も山車として取り上げる。
この石取祭車は桑名に本拠を置く石取祭車研究會(注5)によって綿密な研究が行われている。

尾張地方などには、神楽に使われる「屋形」(写真13)と呼ばれるものがある。これは、簡単な台の上に、神興の上部のような形をした豪華な屋形を置き、その背後に太鼓や獅子頭を置く。
現在は車のついているものも多いが、本来は人がかついで移動したもので、山車とは分けて考えた方が良いだろう。

この他、美濃祭や上野天神祭には、「ねり物」「しるし」(写真14)などと呼ばれる、造り物を乗せた小型の車が出る。中には山車といっても良い立派なものもあるが、地元では山車とは区別して考えている。


13 屋形 春日井市六軒屋

14 しるし 上野市新町「白楽天」

私も、当初は山車を定義することを考えたが、すぐにそれは不可能だということが分かった。極端な話、自動車のシャーシの上に組んだものだろうが、リヤカーを改造したものだろうが、地元の人たちが山車だと思っているものは山車と認めるべきである。

しかし、本稿で取り上げたのは、伝統的な手法で作られたもので、人が数人乗れる大きさ以上のものである。このような基準になったのは、本稿が江戸町人文化としての山車に特に注目しているためである。


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