福禄寿車に乗る人形は4体で、前棚の幣振り人形、小唐子・中唐子、そして大将人形の福禄寿です.
からくりは小唐子が蓮台に逆立ちして、鉦を叩く離れからくりです.
明治43年に出版された名古屋祭(伊勢門水著)には次のように紹介されています.
『延寶四年にやR壽車を造る。人形は山伏多門院の作で天窓の長いやR壽を大将とし(略)二人の唐子があって一人は前に据へつけてある鉦鼓を打つ仕掛けであったを明和四年に人形師竹田壽三郎の細工でからくりを改正し一人の唐子は團扇太鼓を打ち今一人は蓮臺に左の手をつき逆立となり頭を振りながら右の手で摺鉦をならすと云ふからくりに改正した』
山車を創建した延宝4年(1676)に山伏多門院が人形を作った当時は、1体の唐子が出樋の先にある鉦鼓を打つ仕掛けでしたが、明和4年(1767)竹田寿三郎によって1体の唐子が団扇(うちわ)太鼓を打ち、もう1体が蓮台に倒立して摺鉦を鳴らすからくりに変更されたとあります.
以下記録に残る修理歴を列記します.
寛延4年(1751)人形修復
宝暦11年(1761)に蓮台を蔦屋籐吉(竹田籐吉)によって製作.
宝暦12年(1762)福禄寿人形を蔦屋籐吉が新調
明和4年(1767)からくり改正(あるいは宝暦11年(1761)とも)
天明4年(1784)小唐子を鬼頭二三が修理
慶応元年(1865)幣振り人形を花井宗助により新調
昭和53年(1978)小唐子を清川喜男により新調
大将人形は七福神に数えられる福禄寿で、南極星の化身南極老人とされます.
現在の頭(かしら)は三代目でその機構は少しずつ変化しています.
右手に軍配、左手に杖を持ち、その杖の先には巻物が結ばれ、頭の上下と右手に持った軍配の上げ下げの動作をします.
台座裏に宝暦12年(1762)蔦屋籐吉(竹田籐吉)の銘があります.
このユニークな幣振り人形は、「其頃町中評判の塩売の祖父あり、おかしき顔なりしをうつして、其似がほに刻し物なりとぞ」と伊勢門水の「名古屋祭」にあるように、当時の町衆の洒落なのかユーモラスな人形です.火災除けとの伝承もあります.
創建当時の人形は山伏多聞院の作と伝えられますが、現在の人形は慶応元年(1865)花木宗助の作によるものです.
人形の動作は両手で御幣を持ち体を左右に振るもので,胴から出ている棒で操作しており,糸からくりではありません.これは古い形態を残しているものだそうです.
中唐子 宝暦11年(1761)蔦屋籐吉? 明和4年(1767)竹田寿三郎改良? |
小唐子 清川喜男 昭和53年 |