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西枇杷島まつり〜西六軒町・紅塵車

 享和2年(1802)橋詰町・王義之車と同じく,大工森藤九郎により建造されています.文政10年(1827)に人形か関羽に替えられた際に,一部改造がされていると思われます.
 この山車は,他町が祭礼前後に組立て・解体を繰り返すのと違い通年組まれたままで蔵に保管されています.
 あるとき,尾張藩主上覧の折りに『囃子がうまい』と藩主からお褒めがあり,その時所望の品を拝領する代わりに,紫紺地の幕の使用を願い出たそうです.しかし紫紺色は高貴な色ということで認められず.かわりにアヤメ色ならと許されてから,アヤメ色の大幕を使用するようになったといわれます.
山車幕とからくり人形

前棚の「波と龍」


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