尾張横須賀まつり〜本町組〜山車彫刻

09-07-18更新

横須賀の山車の中でもっとも新しく建造された本町組の山車は、町内に手広く商いを行った豪商も多く、名古屋型らしからぬ多くの彫刻群で飾られています.

中でも一番の自慢は高欄下支輪彫刻の4頭の大きな龍で、波と共に山車の四周を囲んでいます.この彫刻は8つの部分に分けられヒノキ材に黒漆で仕上げられています.龍の目は玉眼といってガラス製の目をはめ込んであります.
この彫刻は名古屋の彫刻師瀬川治助重定の作で、重定はこのような龍が得意だったようで支輪の「波に龍」の彫刻は横須賀公通組圓通車と八公車、大田荒古組、鳴海町丹下、にも見られます.

また、高欄下の「四君子」の彫刻裏には横須賀の山車の中では唯一「天保13年」と年号が墨書きされており、山車製作年を特定出来る根拠となっています.

このように本町組の山車彫刻全般は山車建造時に治助重定によって制作されたと推定されますが、前棚下の壇箱は瀬川治助重光(重定の子)の作品であることが印刻や彫刻裏の墨書から判っています.

→彫刻詳細2(波龍と四君子)

■壇箱「玉川」?

名古屋型の山車で最も見栄えのする前棚部を飾る彫刻です.前棚正面と側面の三面(壇箱)を欅(ケヤキ)材の白木彫りで花鳥風月が表現されています.
この彫刻は瀬川治助重光の作で、後述する重定作の「四君子」から7年後に追加されており、父重定によって完成した山車に重光が追補したことがわかります.
正面の彫刻は左右端に松を配し左から右まで川が流れ中央に月が出ています.中央寄りには月を眺める貴族や馬と子供を含む人物が5人.右側には鹿が2匹見えます.
右側面の彫刻は正面から続く川に橋がかかっており、左側面は水鳥が2羽見えますが、その左の部分が大きく欠損しております.
この彫刻の題材は「玉川」と言われていますが、他地区に残されている瀬川(重定・重光)の六玉川とは構成など大きく異なっており、未だ玉川と特定出来ておりません.
彫刻表面に『重光』の印刻、裏面には『嘉永二年 己酉 初夏 尾州 瀬川重光』とあり嘉永2年(1849) 瀬川治助重光によって制作された事が判ります.
壇箱正面左側の詳細
壇箱右側面
壇箱左側面
残念ながら中央が破損
壇箱左側面の詳細
「重光」の印刻が彫刻表面3ヶ所に見られます.
また、彫刻裏には
『嘉永二年 己酉 初夏 尾州 瀬川重光作』
とあります.
 

■その他の山車彫刻

鬼板

懸魚(げぎょ)

「龍」

上山蟇股(かえるまた)

「鳳凰」

太平鰭(たいへいびれ)

「牡丹(ボタン)」

前棚高欄

「蜃(しん)」
手高欄の前面開口部です.
一般的には虎の尾とも呼ばれる蕨(わらび)ですが、本町組を始め横須賀の山車では蜃の彫刻で飾られます.

高欄狭間

「唐獅子」

前棚終端部

「波」
前棚終端部と支輪の波龍の間を飾る彫刻です.