公通組は「八公組」と「圓通組」が大正13年(1924)に合併して出来た組です.
両組が所有していた八公車、圓通車は合併後も公通組が引き継ぎ、余剰となった山車を譲渡することなく、現在も2輛の山車を保有しています.
祭礼では旧八公車と旧圓通車の山車が隔年で交互に使用されています.
公通組に保存されている旧山車蔵の棟札に「文政二年奉再建祭礼車」とあり、この圓通車は文政2年(1819)に建造されたことが判ります.再建と記されていることから、 先代の山車が存在したか、文政2年以前にあった山車を改造した可能性も考えられます.
横須賀の山車で唯一、この圓通車には前壇の白木彫刻がありません.山車彫刻は瀬川治助重定の作でヒノキに漆塗り、あるいは金箔押しで仕上げられています.きらびやかで重量感にあふれた山車です.
実際にこの圓通車は横須賀随一の重量だと言われます.
この一見派手な山車に対比させるかのような紺地に白意匠の水引幕は、一匹ずつ千鳥の意匠が異なるという凝ったもの.
平成10年大幕が新調され前面に「圓通」の文字が入りました.
空木立(からきだち) |
夜祭り |
左右の側面に各10羽、後部に9羽の千鳥が配されています. |
八公組と合併する以前の圓通組の組紋です. |
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右は、公通組が保存している旧圓通組山車蔵の棟札です. |
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前述のように公通組は2輛の山車を保有しており、祭礼には圓通車と八公車を交互に登場させています. 写真下右は、どんてん場脇の空き地に山車飾りをして展示されていた頃(平成9年)の様子です. |
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出入り口上の梁(はり)が虹梁になっています. |
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圓通車には下駄箱がありません.台輪に見える板は乗降時のステップです. |