亀崎西組|花王車|山車彫刻

弘化3年(1847)現花王車の建造にあたり彫刻を立川和四郎冨昌に依頼し、壇箱「太平楽楽人」、脇障子「葡萄取り仙人」、前山蟇股「百羽雀、稲穂に雀」などの主要彫刻を弘化3年(1846)に制作されました。
また大正3年(1914)には新美常次郎が前山懸魚「飛龍」、大正9年(1920)蹴込「布袋の袋曳き」などを手がけています。

建造後150年を経過し痛みの目立ってきた彫刻は、平成8年(1996)より山口県小郡在住の有馬白匠要治師によって修復が行われ、壇箱や脇障子をはじめその数132点と花王車全体に及んでいます。
特に破損の著しかった前山鬼板、上山太平鰭や、欠損していた胴山蟇股など15点は有馬師によって新たに作り直されました。

■壇箱「太平楽楽人」

宮造り(御殿造り)の構造をもつ壇箱です。
立川和四郎富昌の最高傑作といわれ、三人の雅楽を奏でる楽人が車座になって演奏している情景を表現するため、中央の楽人は後ろ向きに配置されています。
奥行きの少ない壇箱に立体感をあらわす彫刻手法上珍しいものとされます。

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

御殿造りの壇箱
上部を斗形で組み、中央の箱状の部分が障子で覆われています。
外周を欄干で囲い宮中御殿のように見えることから御殿造りとよばれる壇箱形式です。
その構造から壇箱全体に彫刻を配するのではなく、題材はこの太平楽楽人のように人物中心で
構成されますが、限られた狭い空間で奥行きを醸し出す工夫が必要となります。

壇箱「楽人龍笛」

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

壇箱「楽人後向き」

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作
後ろ向きで背中を見せています。
顔は見えませんが顔も彫られています。


壇箱「楽人縦笛」

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

壇箱「軍配持ち」

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作
欄干に肘をかける構図は御殿造りならでは

壇箱側面「笛手入れ」

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

壇箱蟇股「唐獅子牡丹」


弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作
鞠は一材から彫られた籠彫りです。

壇箱猫足「波」


 

踊台蹴込み「宝尽くし」


 

■脇障子「」

彫刻の上部にある葡萄は当時貴重なギヤマン(ガラスの吹玉)で作られています。
平成10年(1998)より葡萄の修復、また有馬白匠要治によって彫刻を修復。

葡萄採り子連れ

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

葡萄採り後ろ姿

弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

葡萄部分

蔓(ツル)は銅、葡萄の実はギヤマン

前山手高欄「桜」


昭和7年(1932) 新美常次郎作

蹴込み「布袋の袋曳き」


大正9年(1920) 新美常次郎作

持送り「角繋ぎ」


大正9年(1920) 新美常次郎作

ゴマ隠し「波に千鳥」


昭和30年(1955)新美常次郎作

前山鬼板 「間竹(籬)の菊尽くし」


平成12年(2000)有馬白匠要治作

旧前山鬼板


大正4年(1915)新美常次郎作
平成11年まで使用

前山懸魚 「飛龍(親子)」


大正3年(1914)新美常次郎作

前山桁隠し 「飛龍」


大正3年(1914)新美常次郎作

前山桁隠し 「飛龍」


大正3年(1914)新美常次郎作

前山太平鰭「酒呑童子」


製作年不明 新美常次郎作

前山蟇股 「百羽雀」


弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

前山虹梁「波に千鳥」


弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

前山木鼻「唐獅子牡丹」


弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

前山木鼻


弘化3年(1847)立川和四郎冨昌作

胴山蟇股 イ通り1「紫陽花に蝸牛」


制作者不明

胴山蟇股 前右「山茶花と目白」


平成11年(1999)有馬白匠要治作
伊勢湾台風(1959)で流失し欠損していたため新たに制作

上山鬼板・懸魚


作者不明
鬼板:組紋入りに雲
懸魚:鳳凰

上山太平鰭「持珠龍」


平成11年(1999)有馬白匠要治作


上山木鼻「獅子」


平成12年(2000)有馬白匠要治作

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