■大幕「猩々緋に虎の刺繍」
寛政元年(1789)緞子幕を新調、寛政6年(1794)猩々緋の大幕を新調。
現在の大幕は水引幕とともに下絵を越前守岸駒に依頼し、天保5年(1834)伊藤呉服店にて完成しました。
以下中切組史より引用します。
「天保5年大幕水引に縫いを成すこととなり、三代目新左衛門京都に至り時代の巨匠従五位下越前守岸駒先生を訪ね依頼す。大幕に虎を水引に龍を描かれたり。古今竜虎の画題は先生の右出ずるものなしと聞く。縫いは名古屋松坂屋の祖伊藤呉服店に依頼完成したものなり。大幕・水引の作品は本表装を成し中切組第一の珍金として秘蔵す。」
大幕の三面にそれぞれ「松に虎」、「梅に虎」、「竹に虎」と松竹梅に金刺繍で虎の親子が配されています。
中国の伝説に虎が子を3匹産むとそのうちの1匹は豹(ひょう)になるといい、この力神車の大幕3面でもイ通の「梅と虎」に子虎ではなく子豹が描かれているのがわかります。
後に昭和35年(1960)復元新調、現在の幕は平成6年(1994)復元新調したものです。
古幕の虎の髭は鯨の骨が使われていました。
岸駒(がんく)
江戸中期から後期の絵師で岸派の祖、生まれは加賀国金沢といいます。
「岸駒の虎」と称されるほどの、自他共に認める迫力ある虎の絵を得意としていました。
天明の大火で焼失した御所の障壁画制作などを始め社寺から町屋まで数多くの作品が残っています。
天保7年(1836年)には従五位下叙爵、翌8年越前守に任ぜられ従五位下越前守岸駒。
大幕(イ通り)
梅に虎
大幕(ハ通り)
竹に虎
大幕(後部)
松に虎
■水引幕「青龍の縫いつぶし」
大幕とともに越前守岸駒下絵により天保5年(1834)完成。羅紗地に萌葱色地縫いで龍の金刺繍。
大幕と合わせて龍虎を形成します。
現在の水引幕は昭和61年(1986)復元新調。
水引幕「青龍の縫いつぶし」イ通り
羅紗地に青色と龍の縫いつぶし
越前守岸駒下絵
水引幕「青龍の縫いつぶし」ハ通り
羅紗地に青色と龍の縫いつぶし
越前守岸駒下絵
水引幕「青龍の縫いつぶし」後部
羅紗地に青色と龍の縫いつぶし
越前守岸駒下絵
■追幕「続日本後紀巻15の和歌と翁の面」
追幕「緋羅紗地に翁の面刺繍」
文政10年(1827)に熱田神宮大宮司千秋季雄の書を下絵に制作
続日本後紀巻15の和歌より承和12年正月「尾張の浜主113歳にて禁庭に於て長寿楽を舞し時詠したる歌」と翁の面を刺繍。
『ななつぎの みよにまわえる ももちあまり とのおきなの まいたてまつる』
明治28年(1895)復元新調。現在の幕は昭和61年(1986)復元新調