雷神車は西之口の鉄砲津が所有する山車で、昭和37年を最後に山車庫に保管されたままになっていました. この山車は『若宮八幡の鉄砲町の山車を譲り受けたもの』と地元で伝承されていましたが、近年の調査で新しい事実が判明しました.
昭和62年の調査でが天井裏に「広井村中之切」、また他の部材から「天保十三壬寅六月」の墨書きが発見されました.この事からこの山車が明治以後永らく行方不明となっていた名古屋広井村の三之丸天王祭の見舞車だった「張良車」であることが判明しました.(下記注)
またその後古文書なども見つかり、鉄砲津が明治11年(1878)に150円で広井村中之切より買受け、「龍神車」と命名されたことが判りました.
(龍神車は明治26年に現在のように雷神車と名を変えました)
山車の曳き廻しが途絶え、山車庫に保管されたまま破損の著しかった山車は、平成5年の祭礼から再び曳き出すことが出来るようになり、平成10年には「張良」と「龍神」のからくり人形が復活しました.
鉄砲津の山車祭りの起源は定かではありませんが、この雷神車を買い入れる以前の明治9年(1876)まで曳かれていた旧車(先代車)が本地村(現名古屋市南区大道組?)に売却されています.(現在は残っていません.)また天保14年(1843)銘の大太鼓が残されていることから、それ以前から祭りは行われていたようです.
平成20年に唐破風屋根、四本柱等を新調、高欄周りや彫刻等の漆塗替え.
※張良車は、天保13年(1842)に建造され名古屋城下の三之丸天王祭に曳かれていた広井村中之切の見舞車です.
那古野村や広井村から往時には16輛も曳き出されていた見舞車でしたが、明治維新後の祭礼の変化で売却されたり、戦災により多くの山車が焼失してしまいました.
当時張良車と一緒に曳かれていた広井村(現名古屋市中村区)の見舞車は二福神車など4台が現在も健在です).
→見舞車及び三之丸天王祭の詳細
水引幕
明治26年(1893)伊藤呉服店から26円で購入 |
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大幕は明治12年(1879)の製作 |
前棚の彫刻 |
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鬼板・懸魚(修復前) |
鬼板・懸魚(修復後) |
平成5年 水野靖作 |
前棚と惣台彫刻 |
西之口神明社 |
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西之口駅前 |
力持ち |
名鉄線路を越えて |
きたまつりにて |