名古屋市緑区有松祭り(有松天満社秋季大祭)

10-01-14更新

名古屋の南東部に位置する有松は東海道五十三次の39番目の宿場町池鯉鮒と40番目鳴海宿の合宿として慶長13年(1608)に開村しました.これは尾張藩が東海道を整備するため、知多郡全域に高札を掲げて移住を奨励したもので、当初は桶狭間村に属していましたが、後に有松村として分村独立しました.
開村当初から知多郡に属し、維新後も行政区分は知多郡でしたが、昭和39年(1964)に名古屋市緑区に編入されました.

山車はすべて名古屋型で、それぞれ前歴の異なる個性的な山車が揃っています.
橋東(東町)が明治24年(1891)に購入した布袋車は名古屋城下の若宮祭りの祭車であり、唐子車は知多半島内海(現南知多町)の豪商が贅を尽くした山車を明治8年(1875)清安町(中町)が購入.金龍町(西町)の神功皇后車は明治6年(1873)に唯一有松で作られた山車です.


有松天満社は寛政年間(1789〜1800)に文章嶺の地に氏神として祀られ、本郷桶狭間村の神明社に出かけて行われていた祭礼は、天満社にて8月15日に行われるようになりました.
現在旧東海道の町並みを曳かれている3輛の山車は、いずれも明治以後に購入したものですが、当初の祭礼は傘鉾や馬之頭(オマントウ)の練物が出たといいいます.(江戸時代末期には山車祭りが行われていたようですが、時期等定かではありません.)

■祭礼日
10月第1日曜日
■交通
名鉄有松駅下車 ・臨時駐車場なし
■見所
絞り会館でのからくり披露
 
東海道を3輛揃っての曳行、及び町境での転回

■山車詳細

東町・布袋車 中町・唐子車 西町・神功皇后車
布袋車のからくり 唐子車のからくり 神功皇后車のからくり
明和5年(1768) 天保年間(1830-1844) 明治6年(1873)

傘鉾

有松地内の旧東海道は東から西に向かってなだらかな傾斜になっています.
そのため、3輛の山車にはそれぞれブレーキ装置が付いています.

有松絞り会館でからくり披露する3台の山車
参考資料:
「名古屋市山車調査報告書4」名古屋市教育委員会発行
「緑区の祭礼と山車」芝隆史
「名古屋祭」伊勢門水