尾張の山車まつりへ [中ノ筋町陵王車調査報告書考]−[3/11]

■須佐之男神社神輿渡御の図に見える天王祭の山車
明治25年7月6日に中山米二郎氏出版の刷物で昭和45年7月に伊藤嶂風謹写の須佐之男神社神輿渡御の図が保存されている。明治維新後衰退していた当神社(名古屋城郭内に鎮座していたときは三之丸天王社といった)祭礼を明治25年に神輿2基を新調し、神輿3基を含めた新式の天王祭を始めたその年の記念に刷られた物と思われる。その図には車楽2輌(宵宮、朝祭)山車7輌、警護の行列、神輿が描かれている。その山車7輌は
須佐之男神社神輿渡御の図(部分)  
那古野神社蔵(明治25年 中山米二郎出版)
  ・西王母車
  ・和布刈車
玉屋町
車 町
  ・玉藻前車(殺生石車)
  ・三番叟(翁車)
  ・湯取神子車〈湯取車)
  ・陵王車
  ・浦島車
上新道町(新道町2丁目)
中新道町(新道町3丁目)
南駅町(小伝馬町→南駅町)
中ノ筋町(千歳町中ノ筋→千歳町)
下新道町(万松寺町→新道町(4)5・6丁目)
上表に示した様に氏子変えで天王祭に奉曳することとなった旧若宮祭車の西王母車を先車に御車元の和布刈車、新道(旧名古屋村)の5輌が続くかたちで描かれている。この図には枝郷町〈旧郷)の散手車が描かれていない。散手車は大幕が門前町陵王車と類似する為別名陵王車とも呼ばれる事からこの図に描かれている陵王車とは散手車を挿すと判断したが、山車の形状・人形・町名が違う為、新道天王祭車5輌の他に存在した可能性があり調査の対象とする事にした。
新道天王祭は明治15年頃浅間町の富士浅間社の臨時祭に奉曳することとなった。新道天王祭は新道6丁町の祭礼であるから中ノ筋町(新道5丁目の一部と千歳町)の陵王車が祭礼に加わり山車が6輌になっても決しておかしくはない。名古屋市史地理編〈大正5年)によれは千歳町は広井村内にて万松寺領と称し、その後千歳町上ノ筋、中ノ筋、下ノ筋となり明治4年に千歳町となった。明治11年12月には広井村より分裂して名古屋区に入るとある。
尾張年中行事絵抄によれば、新道天王祭は昔、巾下新道天王祭(3丁目以北〉 と広井新道天王祭〈4丁目以南)に別れて行なわれていたものが、後に統合されたと記載されており、中ノ筋町の陵王車が存在していたとすれば、万松寺領の浦島車と共に広井新道天王祭系の山車ということにになる。ここではこの中ノ筋町の陵王車を中心に考えることにする。
この図に描かれている陵王車の構造上の一番の特徴は名古屋型ではあるのに前棚と上山の高欄とに階段がかけられていること、これは田原町新町の応神天皇と類似するところである。
又上山には雅楽の舞をする人形と京極太政大臣宗輔公と思われる(笛を吹いている)人形の2体が乗せられており若宮祭の名物祭車の陵王車を真似て造られた事が考えられる。新道地区の山車がいつ頃造られたか、歴史をさかのぼってみることにする。金明録の文政元年(1818)を引用すると
朔日、名古屋村天王祭、新道辺、不残車引、夜中迄、大賑合。
とあり新道天王祭に山車が曳かれている事がわかる。文政3年(1820)を引用すると
二日 晴 新道辺車引、当年は俄人形を色々揃へ、堀詰町井戸の辻迄出し、夫より巾下通り筋を引、新道を引込、夫々へ戻る.人形趣向は四月・六月の真似なり。
とありこの年、東照宮祭、若宮祭の真似をした人形を乗せた事がわかる。
又この年より新道を曳く事になり大変な振合だったという。文政5年(1822)を引用すると
朔日 南、八ツ比より晴 名古屋村天王祭、皆々、人形本式に成、別而 白林寺領車塗出来上り、中通り町々車同様になる。
とありこの年、からくり人形を乗せた装飾鮮やかな本式の山車が新道地区の町々に完成した。同様に出来町天王祭事も本式になっており、この年に藩主より近在の町村に山車を曳く事が許されたのではないかと思われる。
ここに記載されている白林寺領とは名古屋府城志によれば、此寺顧は万松寺領と入合いしており村落は万松寺町の西にあったと記載されており、白林寺領車とは千歳町中ノ筋の陵王車を、中通り町々車とは新道の山車5輌を指すのかもしれない。
 又、白林寺は若宮八幡の東隣にあり、白林寺領が若宮祭類似の山車を造ってもおかしくはない。次に文政7年〈1824〉の「青窓紀聞」によると下記の様に御城下近在町村における山車の所有状況を表している。

  巾下(12輌)広井〈10輌斗)下小田井(4輌)出来町(3輌)杉(1輔)押切(2輌)
  浄明寺前(1輌)土呂町(3輌)益屋町(1輌)車ノ町(1輌〉

からくり人形を乗せた本式の山車が多数に存在した事は事実であり、巾下には新道の5輔を含め12輌存在しているし、尾張年中行事絵抄には9輌程の山車が描かれていることからすれば、千歳町中ノ筋に陵王車が存在していた可能性はある。次に千歳町中ノ筋〈千歳町)の現地調査を報告する。
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