[中ノ筋町陵王車調査報告書考]−[2/11] | |
中ノ筋町陵王車調査報告 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
戦前の名古屋三大祭に記録では32輌の山車が曳かれている。歴史をさかのぼれば、三之丸天王祭には見舞車が多数曳かれており、現地に存在するもの、他所へ転売したもの、焼失したものの他に所在が不明になっている山車が多々存在する。 天王祭は明治25年に神輿2基を新調し新式の祭礼を始めた。その祭礼を記念して刷られた須佐之男神社神輿渡御の図には当祭礼に関わった山車が描かれており、その中の1輌に記録上存在しない中ノ筋町の陵王車が描かれている。まずは天王祭見舞車の歴史を踏まえながら中ノ筋町の陵王車の存在を調査する。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■三之丸天王祭見舞車 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
見舞車とは天王祭に曳かれる車楽〈2輌)に献灯を目的に造られた山車の事で伊勢門水の「名古屋祭」によれば16輌が参加した事が記述されている。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
金明録(猿猴庵日記)の文政4年(1821)6月15日を引用すると
名古屋祭に記載されている広井村の9輌の他にも諸文献では上ノ切、小江川、八切の記載がある。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[次へ] |
Copyright(c) 1998-2003 nova OwarinoDashimatsuri All right reserved | ||
[中ノ筋町陵王車調査報告書考]−[2/11] |