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唐とは日本での古い中国の呼び方です。古く大陸を唐天竺などと言っていましたが、唐は中国、天竺はインドです。中国の歴代王朝で栄えた唐王朝に、その名が由来します。 中国唐王朝時代に子供達を描いた図柄が盛んに描かれ、日本にも伝わり唐子と呼ばれました。特に多男子を描いた図柄は、多子多産、子孫繁栄に繋がるとし、縁起物として珍重されました。 山車彫刻でも唐子が見られます。唐子遊びと呼ばれる図柄で多くの唐子が遊んでいる様子が彫られています。 体表的な唐子彫刻は半田下半田北組唐子車檀箱と半田成岩東組旭車檀箱(上半田北組唐子車より譲渡)で唐子車の山車名の由来にもなっています。
山車の唐子彫刻も、これに通じるものがあると思いますので、この由来も紹介すると、二十体の唐子は竹馬、ジャンケン、鬼ごっこなど様々な遊びをしている様子が彫られています。遊びは子供の成長にとって重要な意味があるといわれます。 自然な中で遊ぶことは、様々な発見があることでしょう。また、戦乱の世では子供達もおちおち遊ぶ余裕などなかったことでしょう。子供達が楽しく遊ぶ様子はまさしく平和を表し、徳川家康によって乱世が平定され平和が導かれたとの象徴があるとされます。 山車彫刻でも亀をじっと見つめる唐子や鶏と遊ぶ唐子が見られます。幼い唐子の表情は実に微笑ましく、見る人の心を和ませてくれる感じがします。様々な表情をした唐子が山車を飾っています。祭りを見に行った機会にその表情をゆっくりご覧になるのも一興かと、唐子遊びの様子から何か見えてくるかもしれません。 ・半田亀崎田中組神楽車蹴込 「唐子遊び」立川常蔵昌敬 天保8年 ・半田亀崎中切組力神車前山蟇股(奥)「梅に唐子遊び」立川和四郎富昌文政10年 ・半田下半田北組唐子車檀箱「唐子遊び」立川常蔵昌敬 文政、天保年間 ・半田成岩南組南車前山蟇股(奧)「唐子と鶏」瀬川治助重光 嘉永4年 ・半田成岩東組旭車檀箱「唐子遊びと鶏」立川和四郎富昌 弘化3年 ・武豊長尾下門八幡車前山蟇股「唐子遊び」作者・年代ともに不明 ・半田岩滑義烈組八幡車蹴込「子供獅子舞」早瀬長兵衛 嘉永2年(1849) |
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