[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][高砂]

第126回 高砂

大府市横根・南組山車 壇箱
 高砂は、(じょう・お爺さん)と(うば・お婆さん)を表したおめでたい物で、古くから絵画の題材にもされてきました。尉と媼は老夫婦で、夫婦円満、長寿の象徴として、婚礼の飾りとして、人形なども置かれます。
 謡曲としての高砂もあります。結婚式で歌われる「高砂やー」のあれです。山車彫刻でも高砂は多く題材として、取り入れられています。今回は、高砂についてご紹介しましょう。

山車彫刻の高砂
 先ずは山車彫刻の高砂についてご紹介しましょう。山車彫刻の高砂は以下のようなものがあります。
初代彫常
板山・本板山組「本子車」 脇障子
・半田市協和・砂子組「白山車」 前山太平鰭
・半田市成岩・北組「成車」 前山太平鰭
・半田市岩滑新田・奥組「旭車」 脇障子
・半田市板山・本板山組「本子車」 脇障子
・常滑市瀬木「世楽車」 脇障子(旧) 以上 初代彫常
・大府市横根・南組山車 壇箱 作者不明

 彫常のものは熊手を持った尉と箒を持った媼がいて、背景には松があります。そして長寿の象徴としての鶴と亀が加えられ、波に旭も見られます。各山車では鶴や亀の数や構図は多少異なりますが、凡そ、こうした感じです。
 大府の作者不明のものは、これに、竹と梅が加えられており、松竹梅としての構図が見て取れます。それでは、こうした山車彫刻の高砂の図柄を踏まえ、ご説明しましょう。

・高砂伝説
 播磨の国高砂(今の兵庫県高砂市)の高砂神社に伝わる伝説。古く、神功皇后が三韓征伐の際、大己貴命の神助を得て、敵を平定したことから、帰国の途中、この地に大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)を祀ります。これが、今の高砂神社の創祀で、神社創建当初に生えてきたといわれるのが、高砂神社の相生の松です。
相生の松とは根元が一つで幹が左右に分かれた松のことをいいます。
 ある日、尉と媼の二神が現れ、「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになったということです。
こうした、伝説から後に万葉集、古今和歌集に歌枕として詠まれ、そして能の「高砂」が生まれます。

・能「高砂」
 能「高砂」は室町時代、能を大成させ、謡曲の神様といわれる世阿弥元清の作です。その内容は、肥後の国阿蘇(今の熊本県阿蘇)の神主、友成が都への旅にでます。
途中、有名な高砂の相生の松を見たいと思い、播磨の国高砂の浦に立ち寄ります。相生の松を探していると、老翁と老婆がやってきて、松の下を掃き清めます。友成が老翁と老婆に高砂の相生の松について聞くと、老翁と老婆がこの松だと、話します。
 また、高砂の松と住江(大阪府住之江区)の松は離れているのに、なぜ相生の松(注・話の筋上、高砂の松と住江の松が相生ということになっています。)というのかと尋ねると、老翁は高砂の住人で、老婆は住江の住人といい、遠く離れて住んでいても夫婦の心は通い合い、非情の松であっても相生の名がある。
まして人間の夫婦においても松と共に相生の夫婦となるもの。と諭し、松のめでたさ、御世のありがたさを語ります。
 そして、老翁と老婆は、本当は自分たちは高砂と住江の松の精で、夫婦となって現れたと話し、住江で待っているといって、船に乗って去って行きます。友成は、老夫婦の言に従い、船に乗って住江に向け高砂の浦をします。ここで謡われるのが有名な「高砂やー」です。参考までにご紹介しましょう。
 謡曲 高砂 
「高砂や此(この)浦船に帆をあげて 此浦船に帆を揚げて
 月諸共に出で汐(しお)の 波の淡路の島陰や 遠く鳴尾の沖すぎて
 早住の江に着きにけり 早住の江に着きにけり」(友成が住江に向かう場面を抜粋)
 友成が住江に付くと、住吉明神が現れ、神舞を舞って、御世万歳、国土安穏と祝い、終了となります。こうしたことから、高砂は長寿、夫婦和合の象徴とされるようになったのです。
 結婚式での新郎新婦の席を高砂というのもここからきています。
高砂の尉と媼は伊邪那岐神、伊邪那美神の化身とする説もあります。
 山車彫刻は、高砂の浦で老翁と老婆が揃って松を掃き清めている場面でしょう。話の筋では鶴や亀は登場しませんが、縁起の良さから付け加えられた物と思われます。
こうした配置は高砂に鶴亀といって、画材にもみられます。

・山車能人形の高砂
 尾張地方の山車からくりは能の演目を取り入れたものも多くあります。その源流は、江戸時代より前の山車形体、車楽や大山といった山車の飾られた能人形にあります。そうした、古い形体の山車の能人形にも「高砂」が見られます。
 ●津島天王祭の朝祭、先車の能人形
 船車楽で有名な津島天王祭。初日、宵祭の巻藁提灯飾りの船車楽は、翌朝、朝祭として飾りの模様替えをします。車楽上部の館には能人形が飾られます。
中でも先車(市江車を除く津島五車の先頭)は高砂の能人形が飾られます。
 ●名古屋市南区の富部神社、車楽の能人形
名古屋市南区、富部神社の例祭に飾られる車楽は「高砂車」と呼ばれ、高砂の能人形が飾られます。
かつての三の丸天王祭の先車にも高砂の能人形が飾られたようです。

・山車からくりの高砂
山車からくりでも高砂が見られます。
 ●知立祭西町の上山のからくり人形浄瑠璃
 演目は「一の谷合戦」ですが、最後に高砂の尉と媼と松に変化します。(知立祭西町のからくりについては別項で詳しく紹介する予定です。)
 ●津島秋祭七切米之座の上山からくり人形
 高砂の尉と媼と、神主友成の三体のからくり人形です。神主友成が帆掛舟に変化するのがからくりの妙技です。船に変化することにより、高砂の浦から住江の浦への船出を表現しています。
 ●大垣祭本町相生車山(車山で一文字「やま」)のからくり人形
 高砂の尉と媼と、神主友成、住吉明神の四体のからくり人形です。津島同様、神主友成が帆掛舟に変化するのに加え、住吉明神が面かぶりの妙技があります。車名の相生も相生の松から取られ、別名「高砂車山」とも呼ばれています。夜用の幕には相生の松と高砂尉媼を表した、二羽の鶴が描かれています。

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