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七福神の中でも「恵比寿」「大黒」の二神を合わせて二福神と呼びます。一般的には二福神というより、「恵比寿、大黒」と呼ぶほうがなじみ深いかもしれません。
山車彫刻でも二福神はよく取り入れられる題材で、常滑奥条常石車脇障子や半田成岩東組旭車前山蟇股などに対で彫られています。 また、二福神のからくり人形も多く、美浜布土上村護王車、阿久比宮津北組北車の上山にあります。名古屋では中村区広井旧下花車町の二福神車が代表例で山車名にもなっています。 * 二福神の成立 七福神信仰は民間で生まれた信仰でインド、中国、日本の神様が集った物です。日本固有の神様は恵比寿だけで、大黒はインドの神様です。
ここでは少彦名命について紹介しますが、少彦名命は高天原の根元神、神産巣日神の御子でとても体が小さく、父神の掌で遊んでいたところ、ある時、指の間から中国(日本)に落ちてしまいます。その後、親交のあった大国主命と協力して中国を治めたとされます。 こうしたことから少彦名命と大国主命の二神は国土建設の神としての崇敬があります。 さて前項の「吉祥鼠」で大黒は大国主命と日本で混同された話を書きましたが、こうした神話が大黒(=大国主命)と恵比寿(=少彦名命)として民間信仰として取り入れられ、二福神として祀るようになったようです。 |
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