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多くは知多型山車の前壇の飾りとして置かれています。他には乙川などでは山車の上山高欄に飾られます。上野間周辺では山車の曳き廻し時に上山四隅で御幣が振られますし、常滑では山車の曳き綱の間で振られます。名古屋型山車でも一部見られます。 さて、山車祭の様々な場面で見られる御幣ですが本来は神様への捧げ物でした。こうした本来の意味から山車祭で見られる御幣について考えてみたいと思います。 本来の捧げ物としての御幣は木の棒などに布などの捧げ物を挟み込み神前に立てて神様に奉られました。後に神様を表す物と変化して行きます。 半田地域では山車の先頭に山車組を表す竹竿の先に御幣を付けた物が行きますが、これを梵天「ぼんてん」と呼んでいます。修験道(山岳信仰)では御幣のことを梵天といいますね。講座「真澄の鏡」でお話した、梵我一如の梵です。インドの古代思想で神と人が一体になることを悟りとしたもので神道では神人合一といいます。インド古代語のサンスクリット語で、梵はブラフマン、我はアートマンの漢語になります。 戦国の東北の武将伊達正宗は幼少を梵天丸といいましたが、これは出羽三山神社(月山、湯殿山、羽黒山)で懐妊を祈願し授けられた御幣(梵天)を屋敷の屋根に立てて身ごもったことに由来しています。 少し話がそれましたが神様を表す御幣は玉串や注連縄などに付けられる紙垂(四手)を木の串の左右に付けて作られています。紙垂は紙の左右に切れ目を入れて垂らしたもので神道の最も大切にする清浄から来ています。これは一年の罪穢れを祓う大祓式の行事で白布を裂いて祓うものですが、こうしたことから紙垂ができます。大祓の祝詞に「天津菅曽を本刈断末刈切きて八針に取辟きて…」祓いの術を行うことが示されています。 神社でお祓いする時に使う祓串はこの紙垂が沢山付けられたものです。そうした意味で最も清浄な神様を表す御幣は罪穢れの祓いを表す紙垂で作られているのです。 |
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