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第107回 柱隠し

柱隠し 乙川浅井山「宮本車」
 柱隠し「はしらかくし」とは知多型山車独自の物で前山部が接合する最前部の堂山柱を覆い隠すことからこのように呼ばれます。古式の山車には無く、山車の変遷と共に考案された部材です。
 知多型山車の変遷と柱隠しの発生を見てみましょう。古式の知多型発生当初の形態と考えられるのは堂山幅と前山四本柱の幅が同じ物です。南知多内海吹越の山車が代表例ですが最前部の堂山柱がむき出しになっています。その為、前山部の塗りに合わせて堂山柱も塗りが施されているのが特徴です。
南知多内海吹越の山車
美浜布土平田の山車
 その後、前山四本柱の幅は堂山幅に対し狭くなって行きます。そうした山車の例が美浜布土平田の山車ですが、まだ堂山柱はむき出しで吹越同様に塗りが施されています。
 四本柱の幅が狭まり、できた空間に入れられた装飾が現在でいう脇障子です。古くはこの脇障子が柱隠しと呼ばれていました。このことからも脇障子は堂山柱を隠す為に付けられたと考えられます。
 碧南鶴ヶ崎玉車(亀崎東組旧車)の脇障子は現在の脇障子の様に竹の節欄間もなく彫刻面が前山虹梁木鼻獅子まで来ていて堂山柱を覆うようになっています。(現在、玉車は改造され柱隠しが付けられています。)
美浜河和「中組」山車
 現在の脇障子に近い大きさの脇障子が付けられているのが美浜河和中組の山車ですが柱隠しは無く、脇障子の上部はむき出しになっていて、堂山内部が見えるためか布で覆い隠しています。その後、現在の様な柱隠しが付けられ、堂山柱を完全に覆い隠す様になりました。その為、最前部の堂山柱は装飾が施されなくなり、代わって表面に見える柱隠しはが様々な装飾を施され各地の山車を飾っています。そうした柱隠しの装飾は別項で詳しく紹介します。

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