[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][神功皇后と武内宿禰]

第106回 彫刻の題材〜神功皇后と武内宿禰

神功皇后
名古屋市東区筒井町「神皇車」
武内宿禰
武豊町長尾部・下門「八幡車」
 神功皇后と武内宿禰は知多にある多くの白木彫刻の山車に多く見られます。からくり人形(名古屋筒井町、武豊長尾下門)としても取り入れられポピュラーな題材です。
 神功皇后は第十四代仲哀天皇の妃で、第十五代応神天皇(八幡神社の祭神)の母君に当たられます。武内宿禰は大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝二四四年間仕えた大臣で日本で最初の大臣と言われています。
 凡その物語の流れは、第十二代景行天皇の御世に日本武尊によって平定された九州熊襲ですが、再び謀反を企んでいるとのことで、仲哀天皇が征伐に向います。しかし、仲哀天皇は矢傷を負い亡くなります。大和朝廷は后である神功皇后を前面に押し立て九州熊襲を征伐します。その後、神託を受け海を渡り新羅(今の韓国)を平定します。そして帰国後、神功皇后は応神天皇を出産します。
 山車彫刻ではこれらの流れの様々な場面が彫られています。今後、夫々個々の場面を詳しく紹介したいと思いますが、武内宿禰(髭を生やした老人)が赤ん坊(応神天皇)を抱いているか、いないかが新羅出征前後の目安となるでしょう。
 参考までに主要な神功皇后と武内宿禰の彫刻を紹介します。
・ 新羅出征前
半田乙川西山「神楽車」脇障子
河和北組「北車」脇障子
・新羅出征前、戦勝を占った場面で神功皇后が鮎を釣り上げる様子が描かれています。
 
武豊長尾小迎「鳳凰車」脇障子
南知多内海内福寺「山車」脇障子
・馬に乗った神功皇后が描かれています。
 
武豊長尾市場「神宮車」脇障子 ・祭壇を組んで祭りをする様子が描かれています。
乙川西山「神楽車」 内海内福寺「山車」 長尾市場「神宮車」

・ 新羅出征中
半田上半田北組「唐子車」壇箱
常滑瀬木「世楽車」壇箱
武豊長尾上ケ「宮本車」前山蟇股
・特に「三韓征伐宝物受取」と呼ばれる題材で、神功皇后と新羅側が対峙し宝物を受け取る様子が描かれています。
常滑・瀬木「世楽車」壇箱

・ 新羅出征後
半田西成岩西組「敬神車」脇障子
常滑山方「常山車」脇障子
阿久比大古根「八幡車」脇障子
半田板山日役組「神力車」壇箱
・帰国後、応神天皇を出産した場面で武内宿禰が赤ん坊を抱いています。
板山日役組「神力車」壇箱

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