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神功皇后は第十四代仲哀天皇の妃で、第十五代応神天皇(八幡神社の祭神)の母君に当たられます。武内宿禰は大和朝廷の初期、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝二四四年間仕えた大臣で日本で最初の大臣と言われています。 凡その物語の流れは、第十二代景行天皇の御世に日本武尊によって平定された九州熊襲ですが、再び謀反を企んでいるとのことで、仲哀天皇が征伐に向います。しかし、仲哀天皇は矢傷を負い亡くなります。大和朝廷は后である神功皇后を前面に押し立て九州熊襲を征伐します。その後、神託を受け海を渡り新羅(今の韓国)を平定します。そして帰国後、神功皇后は応神天皇を出産します。 山車彫刻ではこれらの流れの様々な場面が彫られています。今後、夫々個々の場面を詳しく紹介したいと思いますが、武内宿禰(髭を生やした老人)が赤ん坊(応神天皇)を抱いているか、いないかが新羅出征前後の目安となるでしょう。 参考までに主要な神功皇后と武内宿禰の彫刻を紹介します。
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