成岩東組「旭車」脇障子
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山車彫刻では様々な仙人が見られますが今回は特に蝦蟇仙人と鉄拐仙人を取り上げ紹介しましょう。代表的なものに亀崎田中組神楽車の壇箱や成岩東組旭車の脇障子があります。多くの仙人の中でも蝦蟇仙人と鉄拐仙人はよく対におかれます。
岩滑・義烈組「八幡車」前山蟇股
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七福神の中でも特に恵比寿と大黒を対にして二福神として山車彫刻に取り入れられていることに通じるものがあります。日本の七福神のようなものが中国道教の八仙人ですが、この八仙人には鉄拐仙人はいますが蝦蟇仙人は含まれません。蝦蟇仙人と鉄拐仙人は特に関連した逸話もありません(西王母と東方朔などは同じ逸話に登場します)、そうした仙人が対になった理由も考えてみたいと思います。
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「鉄拐仙人」 |
李鉄拐とも呼ばれます。もともとは体格のよい仙人でした。ある時、華山で老君に会うとして、体を置いて魂だけ行きますが、その際弟子に体の番をさせますが、七日経っても帰ってこなければ体を焼いてもよいが、それまでは決して動かさないようにと申し付けました。ところが六日目に弟子の母親が死んでしまい、家に帰るため鉄拐の体を焼いて帰ってしまいます。七日目に帰ってきた鉄拐、戻る体が焼かれて困ってしまいます。そんなところに道端で乞食が飢えて倒れていました。その乞食の体に入ってやっと再生できました。
山車彫刻でも鉄拐の口から魂の抜け出る様子が彫られています。 |
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亀崎田中組「神楽車」壇箱 |
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「蝦蟇仙人」 |
ガマつまりはかえるの仙人です。九世紀中国の宋の時代、侯先生と呼ばれる薬うりがいました。四十歳くらいで顎鬚もなく体中こぶが盛り上がった異様な風采、酒に酔っ払っては乞食といっしょに寝ていたりしました。馬元という人がある夏の暑いとき侯先生と連れ立って郊外にへ行きます。池があり、侯先生、そこで水浴びをします。馬元はほとりで待っていましたが、よく見ると巨大な蝦蟇が泳いでいました、やがて上がってきたのは人の姿をした侯先生、見たかねといって笑い、長生きの薬を与えました。こうした逸話があります。
山車彫刻の蝦蟇仙人は蝦蟇と一緒にいる人をしていますから、この逸話に当たるかはわかりません。絵図では蝦蟇に仙人が乗って海を渡るものがありますがそうした物を主題にしているようです。 |
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亀崎田中組「神楽車」壇箱 |
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蝦蟇仙人と鉄拐仙人の組み合わせ
蝦蟇仙人と鉄拐仙人は知多以外の山車彫刻でも見られます。中国道教に伝わる八仙人には蝦蟇仙人が含まれないわけですが、滋賀県大津祭月宮殿山の見送り幕に画かれた八仙人には蝦蟇仙人と鉄拐仙人が含まれています。立川が彫った八仙人も中国道教のものとは異なっています。七福神も元々定まっていなかったことと同様に、日本の八仙人は特定されていないようです。中国の八人の仙人の概念だけが取り入れられただけでそのなかに様々な仙人を当てはめていったようです。(日本では八仙人に対する信仰はありません。)蝦蟇仙人と鉄拐仙人が含まれる八仙人が画かれ、何らかの理由で蝦蟇仙人と鉄拐仙人が選ばれ組み合わさったようです。 |
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