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・ダイヤブロックの山車 | ||
昔は今ほどおもちゃもありませんでしたし、あまりおもちゃを買ってもらった記憶はありませんね。創造性豊かにするためかダイヤブロックを良く買って貰ってました。今はブロックといえばレゴかな?説明書通りに家や舟やら作るのですが、その内にやはり、山車になっていましたね。(笑) 保育園の頃は屋根ができなくて屋根の部分だけ紙製、高山みたいな切破風でした。小学校に上がるにつれて、小さいながらも思考能力も発達し?、ブロックの山車もだんだん立派になっていきました。壇箱や四本柱、上山のせり上げ、からくり人形なども乗せ、フェルトで幕を付けたり、祭吉の成長と共にブロックの山車も出来上がっていきました。 今でも実家の机に飾ってあります。山車好きな人は模型を作る話しを良く耳にしますが、私はというとだめでしたね。不器用で!上山とか部分的に作ったりはしましたが……。いっちょやたろないかいと作り始めたこともありましたが、なかなか進まず、実家に骨組みだけで眠っています。暇を見つけてつくろうかな? |
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・お祭ごっこ | ||
お祭ごっこ(祭吉のネーミングです。)については以前少し触れましたが、要は山車を仕立てて祭の様に曳きまわして遊ぶことです。小さい頃は乳母車の横に竹で梶棒を付け、前に縄を付けて山車を仕立てましたね。近所の幼なじみと良く曳きまわしていました。 当時、赤ん坊だった妹を乗せて、親父が吹き込んできた囃子のテープレコーダで囃子を流しながら遊びましたね。今、思えば当時のテープレコーダーは今あるカセット式ではありましたが、かなり機械は大きかったと記憶しています。親父が尺八を習っていて、それで使ってたものですが、あんなもの持って山車について囃子を録音してきてくれたとなんともはあり難いことでしたね。 テレビで岸和田の子供達が小さなだんじりを曳いて遊ぶ光景をみたことがあります。あちらでは子供のお遊び用のだんじりが売られているのですね。うらやましい。こっちではそんなのないから乳母車。(笑)さすがはだんじりの本場!学校の授業でもあるとか。 そういえば半田の雁宿小学校でも山車があって学校の行事で曳くそうです。山車ではないですが長野の諏訪地方では学校の行事であるそうです。御柱曳きが、御柱とは大木を曳いて神様に奉納する諏訪地方の祭行事です。祭が盛んなところでは同様の現象が起こるのですね。 伊勢門水著の「名古屋祭」にも子供が山車曳きをして遊ぶ様子が描かれています。「名古屋祭」は明治の出版ですから、時代が変わってもいるものですね、祭吉の予備軍が。(笑) 今、思い起こしても懐かしい、お祭ごっこです。こんなことして遊んだ人、手を挙げて! |
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