[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][知多型山車拳母梶]

第66回 知多型山車拳母梶

大府市横根・石丸組
 知多型山車の梶棒は山車の両脇に地面に対し平行に台輪の上部に接する形で付けられています。名古屋型山車も凡そ同様です。大府市の横根地区三輌、北崎地区一輌の山車は地面に対し斜めに取りつけられています。梶棒は山車の全部まで突き出てなく、ちょうど手押し車のようです。
 こうした梶棒は三河は豊田市の拳母祭りの山車に多く見られ拳母梶と呼ばれています。こうした梶棒の山車は大府市から北東へ抜けるルートに刈谷市、知立市、そして豊田市に分布しています。しかし、その周辺の三好町(豊田市西部)岡崎市(豊田市南部)足助町(豊田市東部)額田町(豊田市南東部)には夫々知多型に酷似した山車が存在しますが拳母梶ではありません。大府市から豊田市へ抜けるルートに何らかの文化的伝播があったと考えられます。
三好町・三好下 挙母・東町
常滑市瀬木・世楽車 知立市・宝町

 挙母、知立(刈谷と同様の山車)と大府の山車を構造的に比較しますと、大府の山車は台輪に縄で梶棒が巻きつけてあります。知立の山車は台輪に金具で止められています。挙母の山車は台輪と一帯になっています。台輪と一帯になった挙母の山車や金具でとめられた知立の山車は非常に自然で見た目もまとまっています。大府の山車は縄でぐるぐる巻きに縛り付けられ非常に不自然です。斜めに付ける梶棒文化だけ伝わり、知多型山車に無理やりつけた結果だと考えられます。
 それでは知多型山車の梶棒と拳母梶を比較して考えてみましょう。知多型山車の梶の切り方はほとんど後ろ梶で梶を切ります。(亀崎など一部では前後の梶で切る所もあります。)拳母梶も後しか梶棒がないので同様です。知多型の場合山車の運行上、前梶はなくてもかまわないわけです。知多型山車で道が狭いため前梶を切って短くしたところもあります。ですから前梶がない拳母梶の方が狭い空間で梶が切れる利点があります。自動車でも運転席より前にエンジンがあるため突き出たセダンよりエンジンが運転席の下にあり前面が出ていないワンボックスの方が小回りが利き運転しやすいのと同様です。ですから道幅の加減から考案された梶棒ではないかと推察できます。挙母、知立、大府の町の地理的な調査まで考慮していませんのであくまでも推察にとどめておきたいと思います。あと、大府にしても知立にしても知多型山車より一回り大きな山車です。そうした点からも考えられることを付け加えておきます。
挙母・東町の画像は「平成11年拳母祭り」拳母祭り実行委員会発行,知立市・宝町の画像は「知立まつり」知立市発行のパンフレットから転載しました.

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