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亀崎西組のものは人物が欄干に手をかけており、御殿造の壇箱に大変まとまった彫刻となっています。ただ、この造りは立川が彫刻を造り壇箱構造も考えたとも思われますが、彫刻のない御殿造りの壇箱が先に作られそれに立川が彫ったとも考えられます。どちらとも考えられますが、武豊小迎の壇箱は御殿造りですが長い間彫刻が入っていませんでしたし、西組の太平楽人は中央に車座になって配置してありますが、これは狭い空間でも奥行きがあるように見せるために立川が考えて彫ったといわれます。そうして考えると御殿造りの壇箱のみが先に宮大工によって作られたと考えるのが自然なようです。 しかし、立川は元々宮大工の流派が彫師として彫刻を専門にしてきましたので、本来の宮大工としての技量もあり、知多に訪れて彫刻を彫っていた傍ら、元々知多で活躍していた岸幕、江原といった宮大工に山車の建造を指導して現在の知多型が完成されたともいわれます。 そうして考えると立川の下絵の構図からできたのが御殿造りの壇箱と考えることができるようです。御殿造りの壇箱として独自に継承され、各地の山車に様々な題材として残されています。 御殿造壇箱の彫刻の題材を紹介します。
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