[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][山車の改修〜長北車の場合]

第57回 山車の改修〜長北車の場合

 以前、知多型山車の改修として常滑市瀬木の世楽車について紹介しましたが、ここでは武豊町長尾馬場の「長北車」の改修について紹介したいと思います。
 ご承知のとおり、長北車はもともと上郷村(現豊田市)から購入した山車を知多型に改造した山車です。買い受け当時の山車がどのような山車であったかは分かりませんが現在の山車や残る部品、また豊田挙母祭などの一般に挙母型と呼ばれる三河の山車から当初の形を推測し、三河挙母型の山車から知多型の山車への改修を見ていきたいと思います。
 
購入当初の山車は外輪式であった
台輪を新調し内輪式に改造しています。(挙母の山車は外輪式)
上山柱が六本柱であった
四本柱に改造しています。(挙母を始め三好、足助、岡崎といった三河の山車の上山は六本柱が多いです。六本柱のわけは柱の内側を前後に区別し後方に神様を祀る場所を設けるためで、その部分には襖がはめれれます。馬場にはこの襖が残されているそうです。)
今より上山、前山共唐破風の幅が広かった
改造で彫常が切って加工したといわれます。大きいような小さいようなアンバランスな破風です。一般的に破風板は一枚造ですが、ここのは上山前山共、中央に繋ぎ目があり二枚造です。こうした破風は他にありません。大きな破風のために二枚繋げて作られていたと推察されます。
脇障子、壇箱がなかった
改造時に彫常が脇障子、壇箱を彫っています。(挙母の山車は堂山前面が御簾で飾られ、脇障子、壇箱がなく四本柱もありません。蹴込は購入したもので早瀬長兵衛一門の作ですが、挙母など三河の山車には蹴込みはありません。
 こうして考えると当初の山車は現在の挙母祭に見られる山車に近かったと推察されます。(三好、岡崎といった山車は内輪式で脇障子、壇箱があり、上山柱が六本柱という以外は知多型に酷似しています。岡崎より購入されたといわれる南知多町山海の山車は改造されることなく使用されています。)
挙母祭に見られる山車は知多型に近い山車といわれますが、堂山の構造上では名古屋型に近いと思います。ちょうど名古屋型の山車の前面を幕ではなく御簾で飾り、前棚部分に高欄ではなく、前面に唐破風の屋根を乗せた感じです。ですから名古屋型を知多型にするような改造であったと思うわけです。
 以前紹介した世楽車は一応知多型の山車を原型にしていたわけで改修しても全体の感じはさほど変わってなかったわけですが、ここ馬場の改修は挙母型という名古屋型に近い三河の山車を山車に改造したことで全体的に造り代える大掛かりなものであったわけです。そうしたことで多少バランス的に無理があるような感がないわけではありませんが、上郷という大変な遠方より山車を譲り受け知多型山車に改造した当時の宮大工、彫常の心意気と働きには感服いたします。こうした例は知多半島唯一で大切に保存していただきたいと思います。

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